1年の中で12月が一番好きだ。
世間のクリスマスへ向けた陽気なムード、きらびやかに飾られた街並み、1年の締めくくりとされるムード…どれもこれも私は好き。
自分で言うのもおかしな話ですが、私は子どもの頃から「人とはかなり違った人生を送っている」と思います。
- 物心つく前に両親が離婚、(珍しいことに)父親に引き取られる。
- その後、父親が再婚し継母ができるも、この継母にDV・モラハラの被害を受ける。
- 私は就職を機に自立をするが、その後知り合った元夫と交際・同棲を経て結婚。娘と息子を設けるも、元夫のDV・モラハラが原因で離婚。
- 離婚もスムーズにはいかず、調停・公示送達を経て裁判まで行う。
- 元夫との離婚までに警察署・DVシェルター・母子生活支援施設のお世話になる。
- 離婚成立後はごく普通のひとり親家庭の母として2児を育てている。
まじめに本でも書けばなかなか壮絶な自分史が書けそうですが💦
(;’∀’)とにかく、私はなかなか壮絶な人生を送ってきていると自負しています。
そんな私ではありますが、人生のどの時期においてもやはり12月~1月にかけては好きだったことには変わりありません。
幼少期の年末年始
子どもの頃は、常に継母に怯えての生活だったのですが、12月から1月の時期は「来客が多い」ことに救われていたのです。
普段から感情の起伏の激しい継母は、怒りの沸点が人よりも低いと子どもながらに感じるほどでした。気分のよし悪しによって「暴言」「暴力」「お手伝いの強要(という名の家事丸投げ)」は日常茶飯事であり、継母が怒る理由も「(私の)掃除が雑」「(私のことが)気に入らない」といったうんざりしてしまうようなことだったりもしました。
私自身がいないものとして扱われることも少なくなく、私が近くを通れば「睨みつける」ことはあれど、「話しかけられる」ことは無く、憂さ晴らしのように大声で私の愚痴を言うこともあったのです。
そんな生活の中で、私は次第に継母との接触を避けるために次第に自室にこもるようになり、夕食も一緒に取ることもできなくなっていました。(そもそも用意もされていませんでしたが)
それでも、体裁は気にする継母でしたので、年末などに継母や父の友達や親せきが集まるような場面では、私との間に「何事もない」ようにふるまいます。最も、その場所に私が呼ばれることもありませんでしたので、
「いつも部屋に引っ込んでいるけど、年頃なのかしら」
位な感じでごまかしていたように思います。
何度か、継母の母(以下、継祖母)私の部屋に訪れて、私を集まりの仲間に加えてくれようとしてくれてはいましたが、そもそも継母が怖かった私がその母親にそんなことを言えるはずもなく、
「私は部屋にいる」
としか答えることができなく、何度か呼んでくれていた継祖母も次第にあきらめたのか呼びに来てくれることがなくなりました。
(本当は話を聞いてほしかったのですが、継祖母が帰った後の継母からの報復が怖かったのと、継祖母が悩みを聞いてくれる雰囲気ではなかったことが理由で部屋に引きこもっている本当に理由を言うことができませんでした。)
では、なぜ年末年始が好きなのか?
それは 人が集まるから です。
体裁を気にしていた継母は、父を含む他者がいるときには決して私に手を上げることがなかったからなのです。
自宅に人がいるうちは「痛い思いをすることがない」からなのです。
婚姻時代の12月
婚姻時代初期に関しては、元夫も仕事を持っていたし、私もフルタイムで働いていたため比較的余裕のある暮らしをしていました。
ただ、年末年始はお互い繁忙期であったため、特にゆっくりと過ごすことも無くどこへ行くわけでもなくただただ慌ただしい日々を過ごしていたのです。
それでも、年末に近づくにつれ、世の中は華やかなムードになるのでその時期特有の空気感は好きでした。
婚姻時代中期にもなると、長女が産まれ、幸せなひと時を送ると同時に、なんと元夫が仕事を辞め、その年以降、1年で一番好きな12月も、元夫が「無職の状態」で送ることも続きました。
生活費ですら足りないために、長女にはクリスマスプレゼントを買ってあげることもできず、もちろんケーキも買うことができなかったため、安いチョコレートを買ってきて簡単なガトーショコラを作ったり、ホットケーキにフルーツや粉糖でデコレーションしたケーキでやり過ごした年もありました。
それでも12月は好きでした。年が明ければまた何か(いいように)変わるかもしれないという淡い期待を持つことができたから…。
婚姻時代さいごの年末年始は…
ただ、婚姻時代さいごの年末だけは、ワクワク感も無ければ、素直に年明けを喜ぶような年でもありませんでした。
と、言うのも元夫が警察のお世話になり、元夫が拘束されている間に私と娘・息子は家を出る準備をして、実際に家を出る行動に移したからです。
詳しくはこちら↓
いつ元夫から追われるかわからない中での恐怖の12月…年末年始はこの時が最初で最後となりました。
離婚後の12月と年末年始
離婚後から今に関しては、多分ですが人並みに年末特有の雰囲気を感じていると思いますし、人並みな過ごし方もしているのではないかと思います。
とは言っても、ひとり親家庭ですのでそんなに贅沢はできませんが、クリスマスにケーキやプレゼントの購入もしますし、子どもたちにはお年玉を渡すこともできています。(金額云々は別問題ですが💦)
お正月には「お正月独自の文化」に触れるために、おせち料理の用意も欠かさずしています。(買うと高いのでバラで購入したり、自分で作ったりしたものをお重に詰めています)
年末年始は、基本的に子どもたちと自宅でテレビを見ながらのんびりと過ごしていますが、それはそれでゆったりとした良い時間なので、私は幸せに感じています。
さいごに
継母から暴力や暴言が無くて安心して過ごせる年末…
翌年に期待を込めて年明けを心待ちにした年末…
結果的に人生の転機となったが、気が気ではなかった年末…
心地よい空間でのんびりと過ごす年末…
様々な思いで12月と年末年始をもう何十回も過ごしてきたのですが、やっぱり今現在ののんびり過ごす年末が一番楽しいです(^-^)
今も昔も12月の雰囲気自体は好きですが、本当に安心して過ごすことができるようになってからはもっと好きな時期となりました。
みなさんは、12月から1月にかけての雰囲気って好きですか?
今年も残すところ半月ほどです。慌ただしく過ごされている人も多いと思いますが、今一度この独特な雰囲気に浸ってみるのも良いことかもしれませんよ。
コメント
毒親育ちのモラ配偶者持ちと、かなり壮絶な人生を送られてきたと思います。それでも、今は平和なときを過ごされていることに勇気づけらます。僕の方は、モラ元妻からの、異常な金銭の要求、嫌がらせ、片親疎外、離婚妨害が続いていて、離婚裁判は三年になろうとしています。モラ結婚生活と離婚においては、おやっさんさんがかつて通られた道と重なる部分があり、いつもブログを読んで勇気づけられています。今もそれなりにきついこと辛いことあると思いますが、がんばって下さい。応援しています。
シンイチさんお返事遅くなってすみません。アイコン変えられましたね(#^^#)
モラハラ加害者との離婚は、通常の離婚と比べものにならないくらいの精神的負担がかかりますよね。
でも、その先には、信じられないくらいの自由と、この上ない安心感と、平和な日常が待っています。
一日でも早く「私側(笑)」になってもらいたいと願っています。