ひとり親になることを選んだ理由・ひとり親としての不安などみんなが知りたいことを自問自答してみた

今の時代、私の周りでもひとり親として頑張っている人は多く、一昔前のように物珍しい顔で見られることも無いように感じます。

それでも、普通に結婚して普通の夫婦として生活している人には「なぜあえてひとり親になることを選んだのか?」と疑問に思う人もいると思います。

また、結婚はして子どもも設けたけれど様々な事情から、パートナーと一生を添い遂げることに不安に思い、「ひとり親として生きる」ことを選択肢に入れ始めている人もいるかと思います。

今回は、様々な立場の人が疑問に思っているであろう「ひとり親家庭を選んだ理由」「ひとり親になってどうだったか?」などについて書いていきたいと思います。

(今回の記事は、わが家についてのことです。ひとり親家庭は各家庭ごと様々な事情があります。すべてに当てはまるものではないことをご承知おきください。)

なぜひとり親家庭を選んだのか?

わが家がひとり親になった理由はズバリ「離婚」です。

一部では離婚によるひとり親家庭に対して「親の身勝手だ」「自業自得」「子どもがかわいそう」など、厳しい意見もありますが、私の場合は「子どものためを思ってこその離婚」をすることができたと思っています。

かつて私のパートナーだった元夫は、入籍後に豹変した典型的なDV・モラハラ男でした。私に対しては、

  • 手を上げる
  • 暴言
  • 交友関係の制限
  • 金銭の詐取
  • 家事育児の完璧さの強要

などは日常茶飯事にあり、

加えて、

  • 無職
  • 嗜好品大好き
  • 育児はほとんどしない(娘だけ見る)
  • 家事もしない
  • 1日中布団で過ごす

など、病気療養中でもない大の大人が一日中自宅でゴロゴロと過ごしているだけ…といった人物だったのです。

子どもたちには、父親のそんな姿を見せながら生活することも「教育上よくない」ですし、何より私には無職の元夫まで養っていくだけの稼ぎはありませんでした。

悪い言い方ですが、「維持費だけかかる大人」が一人いることで我が家の家系は常に火の車でした。

【私が離婚を決意した理由】
× 元夫が無職だったこと
× 元夫は自宅にいても家事育児をほとんどしなかったこと
× 私に対する理不尽なモラハラ行為
× 子どもたちの教育上悪影響しかないと感じたこと

などが主な理由でした。

どのように離婚を進めたのか?

先に書いたように、元夫はモラハラ男でした。

モラハラを行う人とは基本的にまともな会話ができないと思って良いように思います。

1対1での話し合いはまず無理ですし、適当な理由をつけて相手が逃げてしまうか強い口調で丸め込まれるかのどちらかになってしまいがちです。

ですので、こういったタイプの人との離婚には権力のある第3者を交えたほうが良いです。(モラハラ加害者は権力に弱い傾向にあります💦)

権力といっても、弁護士や裁判所でOKです。

裁判所を利用するということはある程度の時間はかかりますが、自分に非がなく相手が加害者である場合には確実に離婚が決まります。私の場合は調停から裁判まで1年ちょっとかかりました。(これは割と早いほうのようです。

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離婚に向けて自らが動き出したきっかけは?

結果的に「調停・裁判」を経て離婚を成立させたわけですが、離婚に向けて動き出すのには勇気がいることなのです。これまでの生活が良くも悪くも一変してしまうのですから、慎重に物事を考える必要がありました。

そんな私が離婚に向けて動く決断ができたのは、元夫の普段の様子を義両親…つまりは元夫のご両親に相談したことからだったのです。

義両親は私の話を真剣に聞いてくれ、息子(元夫)の醜態を謝ってくれたうえで最後の決断(離婚)も私に任せてくれました。

私の子どもたち(義両親から見たら孫)に関しても、「私たちも年齢的に、さいごまでは責任が持てないし、あなたが育ててくれる方が安心。」と私が引き取ることに大賛成してくれ、その後の別居までのサポートを買ってくれたのです。

義両親が背中を押してくれたことがきっかけで別居を決断し、離婚への準備をすることができました。

元夫と別居するにあたって住宅はどのように探したのか?

私の場合は、事前に市役所の相談窓口に元夫との生活のことをありのままに相談をしていました。

市役所では相談の記録は所内で保管されますので、不測の事態があった場合はすぐに対応してもらえます。特に間接的にでも子どもが関係する場合には迅速に動いてもらえる印象です。

わが家も子連れでのDV・モラハラからの避難のための緊急別居でしたので、一時的に保護してもらうような形で家を出ることになりました。

その後、元夫がすぐに追ってくることができない距離にある母子生活支援施設の手配をしてもらえ、母子生活支援施設で離婚の手続きをしながら生活をすることに決まりました。

母子生活支援施設は水・光熱費は自分持ちですが、基本的に家賃がかかりません。家賃分がかからないだけでも貯蓄をするには大分助かります。

ですが私の場合は母子生活支援施設への入所時に「3年以内に退所できるように」と言われていたため、離婚調停・裁判、仕事、育児、貯蓄…をがむしゃらに頑張りました。

母子生活支援施設もあくまで一時的な住居でしかなかったのです。

ですので、母子生活支援施設にいる間にお金を貯めながら離婚調停・裁判を終わらせ、その後保証人不要でも入居可能な団地に引っ越すことができました。(現在はさらに引っ越しをして県営住宅に入居できています。)

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元夫から逃れた後、調停・裁判中など元夫と会うことはなかったか?

結論から言うのであれば、私の場合は元夫と一度も顔を合わすことはありませんでした。

離婚調停時

基本的にDV・モラハラがらみの調停時には、加害者と被害者が一緒の空間にいることが無いように配慮されています。調停委員が話を聞く部屋はもちろん別室ですし、フロアーすら異なった場所で用意してもらえるので、お互いが交わることはよほどのことがない限りありません。(よほどのこととは、加害者が調停委員の制止を振り切って裁判所内をうろつき回ったりとかしない限り…ですね。)

裁判所によっては入廷時間をずらしてくれたり、裁判所への入り口も別のところを指示されたりもします。

調停の段階では、お互いが顔を合わせることは無いのではないかと思います。

離婚裁判時

ただ裁判となるとちょっと違ってきます。

裁判という特性上、お互いが自分の主張をしなければならない場になりますので、対面しておこなうことがほとんどです。

ですが、ある程度の配慮をしてもらえ、被害者側にはパーテーションで覆って顔が見えないようにしてくれる場合もあるようですが、同じ空間にDV・モラハラの加害者と被害者がいることには変わりありません

これって、被害者にしてみると過呼吸になるくらい辛くて恐ろしいことなんです。

顔が見えなければいいでしょ?じゃ、ないんです。

声を聴くだけでも心臓がバクバクしますし、その場にいるというだけで加害者がいつ襲い掛かってくるかという恐怖に怯えなくてはならないのです。

それに何よりも同じ空間というのが一番の恐怖です…。

実は私の場合は結果的には元夫が裁判の法廷に来ることはありませんでしたが、当日自分が入廷してから開廷までの間、いつ元夫が来るかもしれ知れない恐怖と、もし来てしまった(顔を合わせた)ときの恐怖で心臓が高鳴っていたことを今でも鮮明に覚えています。

というのも、私の離婚裁判時はパーテーションがなかったからです。

もしその場に元夫が来てしまっていたら、ガッチリと対面することになっていたのです…。

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離婚が成立してから今現在まで

実は離婚成立前に元夫と暮らしていた地域の市役所に元夫から相談があったそうなのです。内容は、「嫁と子どもがいなくなったら探してほしい。」とのことでした。

ですが、市役所には事前に私が元夫のことで相談していたこともあって「あなたにそのようなことをお伝えすることができません。」と追い返してくれていたとのことでした。

この情報は後日、市役所の人から教えてもらい、「夫さんが探しているようなので気を付けてください。」と注意されたことで知ることができました。

一時は元夫から探されていた私たち3人でしたが、あれから数年たった今でも一度も元夫に遭遇することなく過ごすことができています。(県内ではなく、縁もゆかりもない遠方に引っ越したことも良かったのかもしれません。)

ひとり親で不安はないの?

不安はあります(笑)

けれどひとり親であろうとなかろうと誰しも不安は持っていると思います。

今一番の不安はもちろん「お金」のことですが、実を言うと我が家の場合は婚姻生活をしていた時よりもお金に関して不安はないのです。

というのも、浪費癖のある無職の元夫と暮らしていた時よりも、支出はぐんと減り、収入が上がったからです。

わずかですが貯金もできますし、中古車も買い、引っ越しもできました。家計が火の車だったあのころとは大違いなのです。子育てに関しては…今のところ不安がないです(笑)

ひとり親なのになんでそんなに元気なの?

この質問は、リアルでよくされます(笑)

いや、元気ではないですよ(笑)いたって普通(#^^#)年々老化も気になっちゃっています(笑)しかし元気に見える原因をしいて言うのであれば、自己暗示をかけているからかもしれません(笑)大変大変💦と思っているとたいして大変でないことでも大変に感じてしまうことってないですか?それですよ。

日常生活をあえて大変だと思わないようにしていることはあります。

例えば学校のPTAがらみは、ひとり親だろうと核家族だろうと祖父母が一緒に暮らしているような大家族であろうと全く同じ仕事の負担があります。

ひとり親だから軽い仕事、大家族で人手があるからちょっと大変な仕事を…なんてことはありませんよね。

けれどよくよく考えると、実際の負担はひとり親家庭の方が大きいです。なにせPTAの活動に交代で出てくれる家族がいませんから(-_-;)

でも、そんなことを考えていたらきりがないのも事実です。

だったら、与えられたことは気持ちよく引き受けて気持ちよく終わらせる方が自分も周りの人も嫌な思いをすること無いのではないかと思うのです。

少しでも楽しく仕事をするために、あえて友達と一緒にPTA活動を行うこともひとつの手段ですね。

なるべく自分が大変、そんなのできない…!!というネガティブな気持ちにならないためにも楽しい要素を見つけ出して大変さを封じ込めるのです(笑)

私の日常はそんななことの繰り返しです(笑)

PTA活動とか自治会活動とか正直面倒くさいし関わりたくない(おっと失言💦)と思っています。しかし、「早めに終わらせておけば後が楽♪」「1年間ならやってみてもいいか。」「お母さんが長の付く役をやったら子どもたち喜ぶんじゃない?」など、勝手なポジティブポイントを見出して気分を上げています。

子どもたちは「父親」について何か聞いてくる?

元夫と別居した時、娘が6歳、息子は1歳でした。娘は父親との記憶が残っていますが、息子は父親の存在すら覚えていません。

2人とも離婚後、特に「父親」について何か聞いてくることもありませんし、会いたいとも言いません。むしろ娘に関しては「会いたくない」といいます。今後子どもたちが希望するのであれば父親に会うことも反対はしませんが、

  • 自分の身を守ることができる年齢であること
  • 父親の所在は自分で探すこと(現在行方が分かっていません。私は知りたくもありません)
  • 私は付き添いしないこと

は最低条件になると思います。

ただ一度だけ娘が、「お父さんがいればお金がたくさんになるよね~」と言ったことがありましたが、これは元夫には当てはまることではなかったので、

「なら私が再婚しましょうか?」と答えるとすかさず「いや、無理でしょう」と言い切られてしまいました(´;ω;`)

結局のところ子どもたちも、今の生活で落ち着いているのです。

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さいごに

わが家ではひとり親家庭になったからこそ「自由と幸せ」を手に入れることができましたし、子どもたちにとってものびのび育つことができる環境になったと思います。

ひとり親家庭の離婚前と離婚後の生活で何が変わった?【住居・仕事・家事育児・収入】

もちろん、私一人の稼ぎで生活しているわけですので、一般の共働き家庭とは同じようにはいきません。この先もきっと家を買うこともできませんし、頻繁にテーマパークなどに遊びに連れて行ってあげることもできません。

ですが日々の生活には困ることは無く、必要なものは買い与えることもできます。これは当たり前のことですが、この当たり前のことができる幸せを手に入れるための元夫との離婚だったのです。

わが家の場合は「ひとり親になってどうだったか?」と聞かれたら、

堂々と「ひとり親になって幸せです。」と言うことができます。

モラハラ元夫との離婚後に感じた小さな幸せ特集

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