無職モラハラ元夫との生活は控えめに言って「極貧生活」いかに大変な生活だったかをご紹介します

モラハラ離婚

今現在、母子家庭である我が家は決して裕福ではありませんが、無職&モラハラ加害者だった「モラ元夫」と共に生活していたあの頃よりはかなり暮らしが楽になりました。

大人一人と子ども二人を養っていたあの頃は、控えめに言って「極貧生活」そのものでした。

そんなあの頃の切ない生活をご紹介します(´;ω;`)

日常の買い物

我が家は、自転車置き場もないような物件に暮らしていたということもありますが、そもそも自転車すら購入することができないくらいの貧乏暮らしをしていました。

そのため、移動手段は徒歩または交通機関です。

当然、日常的な買い物も徒歩圏内に限定されます。

日々の食品の買い出しは基本的に私がおこなっていたため、家事・育児、仕事の合間にすませる必要がありました。

しかし、日常的な買い物のために公共交通機関を使うことは気がひけます…。なので、徒歩で行ける範囲での買い物になるのですが、市内でも繁華街に当たり、新幹線も乗り入れるくらいの主要駅前だったこともあり、郊外よりも物価が高く、一通りのものは全て揃えることは出来るも、食品などは大手スーパーよりも1.5倍以上の価格設定でした。

基本的に徒歩圏内にある駅前のお店は、百貨店や駅ビルなどの商業施設しかなく、自然と価格が高めになってしまいます。

最寄りのスーパーマーケットまでは徒歩30分以上はかかり、買い物後の荷物を持って帰ってくることが大変な距離でした。せめて自転車があればその距離でも行けていたのですが、我が家にはその自転車すらありませんでした。

と、言うことで安い野菜を求めて郊外のスーパーに行くことは不可能だったのです。

わが家は物理的な関係で、駅前の商業施設での買い物をするしかなかったため、食費は購入量の割には高くついてしまいました。

自動車はおろか自転車も所有できないほどの貧乏人は、野菜を購入する店すら選ばせてもらえないと感じたのです。

自転車購入できないわけ

「少し無理をしてでも、中古の自転車を購入したらよかったのに…」

とお思いの方もいるかもしれませんが、当時の我が家の場合はまず選択肢にありませんでした。その理由は次の通りです。

  • 物件に自転車置き場がない
  • 階段下に自転車を置けそうなスペースはあるものの、盗難の可能性が高い(街中であるため、治安はあまりよくない)
  • 大家さんに許可を得て自転車をおく場所を提供してもらったとしても、放置自転車として持っていかれる可能性も高い(街中であるため、放置自転車に厳しい)
  • 何より、金銭的に買う余裕すらない

当時の我が家は、私のパートの給料10万弱(児童手当はモラ元夫が着服)で生活していたため、本当に家計が火の車でした。なので、自転車1台すら所有することができなかったのです。

子どもの服

子どもは小さければ小さいほど、成長ごとに洋服を買い替えていく回数が多くなります。小学生くらいまでは、毎年買い替えなければならないことも珍しくありませんね。

しかし、わが家では子ども服を買う余裕すらありませんでした。

当時、娘も保育園児でしたので保育園で使用する洗い替え用の服などの準備も必要でした。保育園に通うと、思っている以上に子ども服が必要になりますね。しかも、「ズボンでなくてなならない・フード付きのものはダメ」などの制約も多いです。

わが家では服すらないのに、さらに制約までされるといよいよ娘に持たすことのできる服がない…ということもあったのです。

幸いにも数少ない知人からのご厚意で、子ども服をいただけることもあったので、助けられた部分もあったのですが、それでも足りない分は安い子ども服を購入せざるを得ませんでした。

それでも子どもの成長は早いもので、長ズボンが7分丈くらいになってしまっても、無理やり履いてもらったこともありました。穴が開いてしまったらお手製のアップリケで装飾してごまかして履かせたこともありました。

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洋服問題で一番困ったのは、年1回のお祭りやお遊戯会の衣装

子どもの普段着ですら満足に用意できなかったわが家でしたが、保育園の「年に1回の行事の衣装の指定」にはかなり悩まされました。

お遊戯会ではその年ごとに準備する衣装が異なります。

たまたま指定された色の服を持っている場合は「ラッキー」なのですが、もちろんそうとも限らないのです。

ある年では、『黄色の長袖服と黄色の靴下』を持ってくるように指定されました。黄色の服は…まず買いませんでしたし、お下がりでもらうこともありませんでしたので、この時ばかりはモラ元夫を説得して安い衣装を買いに行ったのでした。

また、夏祭りの時は『浴衣可』となっていたため、娘は着たがりました。

年少・年中の時にはお下がりの浴衣をもらうことができていたのでそれを2年連続で着せることができましたが、年長の時はさすがにその浴衣も短くなってしまっており、そのまま着るには無理がある状態になってしまいました。

しかし、新たに購入する余裕はありません。

そこで、浴衣を上下に切り分けてセパレートタイプの浴衣に縫い直しました。

上半分は裾を縫い上げて襟に100円ショップで購入したレースをつけて洋風に仕上げ、下半分はひざ丈のスカートに縫い直し、裾には襟と同じレースをつけて仕上げました。

袖は少し短いけれど、夏ということもあるし全体的に洋風にしたことであまり気になることも無く、無事に夏祭りに参加させることができました。(独身時代に買ったミシンが役に立ちました。)

家庭菜園

少しでも食費を浮かせるために、家庭菜園をしようと考えたこともあります。とはいっても購入してきたネギの根っこを使用した水耕栽培なのですが…。

ところが、わが家にはベランダがありません。

ですので窓際に置くしか日光にあてる方法がないのです。それでも、何とか窓際に置いて少しでも家計の足しになれば…なんて思いながら栽培を頑張っていたものの、室内だったせいなのか生長は悪く、伸びる前に枯れました(´;ω;`)

安い賃貸物件だったため、ベランダがないことによって光を取り入れることが難しく、家計の足しにしたくても、その環境では野菜すら育てさせてもらえないと感じました。

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引っ越し

この当時住んでいたところは、新幹線も停車する主要駅前ではあったものの、築50年超えのベランダがないようないわゆるビルでした。主要駅前という立地の良さはあったものの、築年数も古いし、設備も良くはありません。そのせいもあってか、家賃だけはそこそこ安かったのです。(2DKで38000円)

市内には、場所さえ選ばなければ郊外にもっと安くて新しい物件はたくさんありました。私は何度も引っ越しを考えたこともあります。

ですが、自動車も(自転車も)所有していない我が家にかかる引っ越し費用は次の物件にかかる諸費用+荷物の運搬費用が丸っとかかります。自動車がある家庭であれば、運搬費用も抑えることができると思います。頑張れば、自分たちで運ぶことの可能です。

そう、私たちには引っ越しをする選択肢すらない、「居住移転の自由」すらない、狭く・古く・汚い・物価だけはやたら高い場所での生活を強制されていたようなものなのです。

結果的には引っ越し費用の捻出もできなかったのですが、もし当時引っ越しできていたとしても、引っ越し費用は最大限にかかったと思います。

引っ越しにかかる費用はなるべく抑えたいのに、貧しさが故にお金がかかってしまうのが現実なのです。

保育所探し

これはモラ元夫と離婚に向けての別居を始めて、引っ越した時に感じたことでした。

当時1歳と6歳の子どもを連れていましたので、生活を維持するために急ぎで新しい職場を探すためにまずは保育所探しを行いました。(優先順位的には働き始めてからの方が入れるかもしれませんが、子どもを見てくれる人がいなかったので先に保育所探しからおこないました。)

待機児童が多い地域に引っ越してきてしまったので、近隣の保育所は人数がいっぱいのところが多かったです。もれなく待機児童になってしまったのですが、市役所の人には

「山の保育所ならば空きがありますよ」

といわれました。

って‥‥

この山の保育所とは、自動車で1時間ほど走っていかないと行きつかない保育所です。

自動車でも1時間。

当時の我が家は、モラ元夫から逃れたことでお金のやりくりもうまくいきだし、やっと自転車が買えたころのことでした。

そんなわが家には、子どもを乗せて自動車で1時間かかる保育所へ自転車で行くなんて無茶なことです(笑)常識的に無理です。

自動車も持てないほどの貧乏家庭には、保育所すら無茶な場所を紹介されるのかと感じました。

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さいごに

極貧生活をしていたころから10年近くがたちました。

極貧になってしまった原因は、モラ元夫が仕事をしなくなってしまったことからでした。

モラ元夫は始めこそは失業給付を受けたり、つなぎで短期での派遣をおこなっていたりとそれなりに再就職先を探しながらも家計のことも考えてくれている素振りはありました。しかし、派遣の仕事をおこなっているときでも

  • 俺が一人でがんばって働いてやっている(←私も働いています)
  • 俺ばかり働いていてお前は楽でいいよな(←私は肩書こそはパートでしたが、フルタイムでしたし、家事育児も私一人でこなしていました。)
  • お前は俺より稼ぐことができないんだから俺の方が偉い。だから、家のことはお前がやれ。(←確かにモラ元夫との時給に差があったので、私の方が給料は安かったのですが、働いている時間数は同じでしたし、転職もさせてくれなかったのはモラ元夫です。)
  • 俺に頼ろうなんて甘いこと言うなよ(←今となっては必要とも思っていないから大丈夫!)

と、どこか偉そうな態度でした。

そしてついに「体調不良」を言い訳につなぎの仕事も、就職活動もしなくなり、完全に無収入&家事育児もしないモラハラだけは健在の(元)夫になってしまいました。

無収入・主夫でもなく・モラハラ三昧・体調不良というくせに病院すら行かない(←必要な書類すら書けな…こんな元夫と共に過ごしていました。

このままでは私自身の精神も持たないですし、それ以上に子どもたちの将来が心配になってしまいモラ元夫との離別を決意したのでした。

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