【DVモラハラ】継母は実家での最高権力者 小学生だった私はサンドバック兼家政婦

今現在自立した母子家庭の大黒柱である(笑)アラフォーのおやっとです。

そんな私は、幼少期に両親が離婚してしまったため、一時的に(その時代には珍しい)父子家庭だったことがあります。その後数年で父が再婚したため、表向きは「両親がそろった家庭」での生活となりましたが、実情は父とその奥さん、父の連れ子である私と、祖母の4人の家族…というより私と祖母は同居人扱いのような暮らしでした。

私は幼少期、「父がいない時間」が一番怖く、常に息が止まりそうな恐怖と戦っていたのです。

実家での(独裁)権力者は事実上継母

当時の実家は祖母の持ち家でした。(祖父は若い頃他界していたので祖母の一人暮らしでした。)そこに父と私(孫)後に継母となる女性(以降継母)を含めた3人が転がり込んできたような形となりました。

私は祖母のことが大好きでしたし、祖母も私のことをかわいがってくれていたので、祖母と同居することが嬉しかった記憶があります。

しかし継母は、初めから祖母のことをよく思っていなかったようで、ことあるごとに祖母に小言を言っていました。

食事の時には祖母が(加齢のために)少食であることが若い継母には理解できなく、「私が作ったものを食べられないんだったら自分で作って!!」と怒鳴っていたこともありました。

食事内容も祖母の好みに合わせることなく、「フライ、唐揚げ、カレー」などの洋食中心だったりもしました。もちろん祖母は食事に関して文句を言うことはありませんでしたが、洋食続きであること、食べきれない量を出されてしまっていることは子どもの私から見ても祖母がかわいそうに感じてしまうほどでした。

祖母は元々おとなしい人でしたので、当時はモラ継母の標的になっていたのかもしれません。祖母が自分の自宅なのに毎日居心地が悪そうにしていたことが忘れられません。

当時父はというと、私たちと晩御飯を一緒に食べることのできる時間には仕事が終わらなく、常に継母・祖母・私の3人での食事でしたので、祖母がひどい扱いをされていることも知らなかったのではないかと思っています。

私はというと、そんな継母のことをすでに恐れていたので意見する勇気もなく、申し訳ないと思いつつも結果的には祖母のことを見て見ぬふりをしてしまっていました。

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モラハラ継母の標的は祖母から私へ

祖母がいたころは、私がまだ小学生の頃でした。その後体調を崩した祖母は、入院をしてそのまま高齢者施設へ入所してしまいました。祖母がいなくなるとモラ継母の標的は私一人になりました。

継母は相変わらず父不在の時を狙ったかのように私につらく当たりました。

  • 気に入らないことがあれば物を使って殴ってくる(素手では行わない)
  • 長時間(数時間単位)私を立たせて説教をする(ほぼ継母のみがしゃべる)
  • 無視
  • (機嫌が悪いときは)近くに行だけで睨みつけてくる
  • 子どもに物事を教えるというより、声の大きさと力で押さえつける教育
  • 私の学校行事に興味を持たない(お知らせ等気にしていない)
  • 「お前は根暗だ」「お前が大嫌いだ」「少年院に行け」など、人格や存在そのもの否定する言葉を定期的に言ってくる
  • 父が在宅しているときは、「お母さんが出ていけばいいのね…」とわざと被害者ぶる

ここに書いたことはまだまだ一部分ですが、当時小学生の私には毎日がとてもつらく、「早くお父さんが帰ってきてほしい。」と心で叫んでいたのでした。

モラ継母が牛耳っていた実家の家計の事実

そんなことが日常だったある日、私は継母から「面白い話がある」と言われ、話を聞くことになったのです。私も子どもでしたので「面白い話」を単純に「面白い話なんだろうな」と受け取っていたのですが…。

「あんたの大好きだったばあさん…。」

とはじまった時には、「面白い話ではないかも」と思ったのです。案の定その後続く話は「面白い話」ではありませんでした。

「あんたの大好きだったばあさん、生活費をほとんど払ってくれたんだよね。私も仕事しているんだけどさ、何も支払ったことないもん。遊びに行ってもお金が溜まってたまって…。」

あたかも祖母が「都合の良い金づる」のような言い方でした。

当時子供だった私でも、この継母の言い方が許せなくて…でも継母からの報復を恐れていたために意見することもできなくて…ただただ悔しい気持ちになったのでした。

大人になった今では継母の

  • 一社会人としての常識のなさ(家計の負担など)
  • 祖母への配慮のなさ
  • 金銭的に援助してもらっていたくせしての横柄な態度

など、継母がいかに残念な大人だったのか…と哀れに思うことさえあります。

例え自身の子どもであっても社会人となったら、同じ屋根の下で暮らすものとして、最低限の居住費用くらいは支払ってもらいますよね…。ましてや嫁の立場です。少しでも祖母のやりくりしていた家計を助けてあげてほしかった…っていうより、そもそも小学生の子どもにそんな話しないでほしい!!

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モラ継母の実子ができると私の立場は完全に「父の連れ子」となった

継母と私は「親子」ではありません。(戸籍上でも多分そうです)おそらく同居人です。でも継母は、体裁を気にするので私の小学校関係や、自分の職場関係・交友関係の中では一応「子ども」として扱ってはくれます。(それでも「娘」と言ってもらったことは記憶にはありません。)

ところが家庭内では私は「父の連れ子(同居人)」として扱ってきます。

継母の実子ができた後は明らかに私のことを「邪魔だ」「知らない人」と言うことも増え、食事の支度をしてくれることも少なくなり、育ち盛りだった私は学校の給食と残りの冷ごはんで食いつないでいた時もありました。

同居人であるので「掃除・洗濯」は私の義務

いつしか継母のお宅で住まわせてもらっているという関係になってしまった私は、

  • 週末(金・土・日・祝日)と長期休みの全日の洗濯全行程
  • 週末の掃除
  • 布団干し

を毎週行うことを強要されました。

父には「お手伝いをさせている」と言う体になっていました。

働かざる者食うべからず…ということでしょうか?いやいや、食事も満足に準備してもらえてなかったんだけどな…(-_-;)

私の小学校の行事に無関心?

日々の学校の準備は、給食セットなどを含めてもちろん、継母が関与することはありませんでした。私が忘れ物をしようと、必要な教材が無くて困っていようとお構いなしです。もちろん、当時集金袋で集めていた給食費の集金日の把握もしてはいませんでしたので、私が集金袋を出すと露骨に嫌な顔をして「急に言われてもお金なんかないよ」と言ってすぐに提出させてはくれませんでした。(なので常にクラスで最後の提出になって恥ずかしい思いをしていました。)

また、子どもの管理ですので「学級だより」などのお知らせを出し忘れることもあります。(私は特に多かったかもしれません)

ですが、「おたよりはないの?」「そろそろ参観会じゃないの?」など、普通の家庭の会話はほぼなく、突如思い出したとばかりに継母は突然ランドセルをひっくり返して、

「なんでお前はこんなにため込むんだ。」

と長時間の説教を始めるのでした。

小学生の子どもに対して学校がらみの日々の確認をすることは無く、いきなりお怒りモードに入るというのがお決まりのパターンでした。

おたよりなどを継母に見せることを忘れた私にも非があるのですが、子育てをしている今は、当時の継母と同じ立場です。そして私の子ども(特に息子)も例外なく「おたよりの出し忘れ」をすることがあります。…でも、いきなり怒りモードにはなりません

だって、子どもに確認をすればよいのですから…。「学校からおたよりもらってない?」と…。

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モラ継母実子の子守も私

継母はよく外出をしていました。多くは父と2人での外出でしたが、自身の友達?と遊びに行くこともあったと思います。

その都度、当時まだ乳児だった継母の実子(私の弟)の子守をよくしていました。

当時小学5年生でしたが、調乳からおむつ替えまで全てをこなしていました。

弟は何も悪くないし乳児は普通にかわいい…子守そのものは嫌ではなかったのですが、かなり都合よく使われていたことに対してはいまだに納得はしていません

小学生時代、友達と自由に遊んだ記憶は…少ないと思います。

子どもだった私が家事育児をした後のモラ継母の反応

「ありがとう、助かった~。」

なんて口が曲がっても言いません。

  • お前の掃除は雑
  • ○○にほこりが残っている
  • 洗濯物のたたみ方が汚い
  • 洗濯物のしわが気になる
  • ハンガーの跡がついてる…
  • 乳児は泣いててもほっておけば寝るから構うな
  • 1つのことをするのにどんだけ時間がかかっているんだ

などなど、私に対して達成感を与えることをしないものの言い方で、やる気をさらに削いできます。

モラ継母は常に、「小学生としてのお手伝いの範囲の出来」ではなく、「家事代行サービス並みの出来」を強要してきました。そしてそれができていないときは、継母のお小言からの無視という流れが一連でした。

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さいごに

継母と共に暮らした期間は私が自立するまでですので、15年ほどでした。

もうすでにアラフォーの私からすると人生のほんの一部の期間だったかもしれませんが、貴重な小中学生の時期のほとんどがモラ継母にいいように使われていたと思うと、今だからこそ悔しさがこみ上げてきます。

でも当時は、親に逆らうこともできない・親に反発したところで行く当てもない・生きていくためには仕方がないとあきらめて言いなりになっていた自分がいます

子どもは親の「駒」ではありません。あくまで「子」であり、子どもの身の回りの世話や生活環境を整えてあげるのは基本的には「親の務め」です。それがわかった上で「お手伝い」として子どもの手を借りることは良いことです。でも、「子どもにやってもらって当たり前」という考え方は間違っているように感じます。

そしてモラハラ加害者には、いくら相手が幼い子どもであっても「話せば理解できる」と言うことを理解してもらいたいです。

  • 言ったってわからない
  • 殴るのはしつけのうちだ
  • 何度も同じことを言いたくないから痛い思いをさせる

↑よくこんなことを言っている親もいますが、これは

  • 子どもにわかるように教えることができない
  • 叱るより簡単
  • 何度も教えることが面倒くさい(教えることができない)

と自分で言っているに過ぎないのです。

そして私は子どもに対して、

  • 教えるべきことを教えない(いきなり暴力)
  • 奴隷のようにこき使う
  • 自分の所有物として扱う(家政婦代わりなど)
  • 金銭の搾取
  • 自由を与えない(友達との約束をさせないなど)
  • 食事を与えない
  • 無視をする
  • 睨んだり、精神的に追い詰める言動を行う
  • 他人と比べる(あの子はかわいいけどあんたはかわいくないなど)
  • そして↑これらのことを他人にはわからないように行う

など、どれか一つでも当てはまる場合は、親から子に対してのDV・モラハラと言っても間違いではないと思っています。

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