婚姻生活末期は「極貧生活」 さてその収支は?

モラハラ離婚

今はひとり親の母として生活している私ですが、かつては婚姻生活をしていたこともありました。しかしながら、婚姻生活末期は「極貧生活」を強いられることになったのです。原因は元夫が「働かなくなったこと」でした。

今回は、どのくらい極貧生活だったのかをご紹介します。

婚姻当時の家族構成

☆元夫
☆私
☆長女
☆長男

元夫

私とは5年ほどお付き合いの後に入籍するも、DV・モラハラ気質が強い。また、入籍後約1年でほとんど解雇に等しい形で無職になる。その後は、失業給付を当てにし、短期派遣なども行うも職を転々として定職に就かず。婚姻時代末期には完全無職状態になる。

元夫の強引さに負けて同棲→長女妊娠&入籍。

元夫との5年間の付き合いの中で、元夫に対する「違和感」(のちにモラハラと知る)は持っていたものの、若さゆえの勢いで入籍をしてしまう。

婚姻後には、元夫からの度重なる「理不尽な要求」にも「私が我慢すれば問題ない」と耐え続ける。

長女

元夫からはかわいがられるも、後に元夫のことを「パパは面倒くさい性格だった」と振り返っていた、年齢に合わない洞察力と気の使い方ができた当時5歳の娘。

長男

元夫とは、1歳を超えたあたりで別居することになったので、父親の存在をほとんど知らない息子。1年足らずの短い期間での父親との生活では、楽しい思い出は全くない。

最もやばい「極貧時代」のわが家の収入

元夫との婚姻生活の中で最も「やばい」時期(離婚間際)の収入をざっくりとご紹介します。

  • 私の給料 約10万(フルタイムだが時給750円)
  • 児童手当 約10万(しかしすべて元夫のポケットマネーと化す)
  • 元夫実家からの援助
スポンサーリンク

私の給料

元夫が無職だったため、息子の育児休業をある程度消化したところで仕事に復帰。フルタイムで働くも、「子どもが小さいから」と社員登用はしてもらうことができず、雇用形態はパートであったため、常に最低賃金での雇用でした。当時の時給は750円と、今では考えられないくらい安時給でした。(この会社はパートは全員最低賃金での雇用でした。)

転職も考えたことはありましたが、「小さな子どもを抱えて現状以上に稼ぐことができる職場を見つけることができる自信」もなく、致し方なく働き続けました。

児童手当

子どもが2人(うち一人は0歳児)だったため、1か月あたり2万5千円支給されていたと思います。しかしながら、私はその現金を一度も見ることはありませんでした。

というのも、児童手当は元夫名義の口座に振り込まれるため、「児童手当=元夫のポケットマネー」となっていました。DV・モラハラ元夫は元々お金に対しての執着が強く、自分の口座に入ってくるお金は全て「自分のもの」としていました。

元夫は気が向いたときには、食材を購入してきてくれることもありましたが、ほとんどは元夫自身のために消費していたお金です。

ちなみに、「2009年の定額給付金」も元夫がすべて着服しました。

元夫実家からの援助

私の稼ぎだけでは当然生活費としては足りませんので、元夫が自分の実家に援助をお願いしました。

義実家からの援助は主に「家庭菜園で採れた野菜やお米などの食品」でしたが、食べるものをたくさん購入しなくても良いというのも大きな助けとなりましたので、ありがたくいただいていました。

極貧生活の固定費

本来であれば2馬力で稼ぐことができるはずなのに、元夫が完全無職になってからおよそ1年は本当に家計がカツカツでした。(細かく書くことで、元夫に特定されると困りますので、家賃など少し控えめに書きます。実際にはもっと支出がありました。)

家賃

約40000円しかし滞納気味であり、最大半年間放置されていた。(しかし大家さんも大して催促してこなかった)

水・光熱費

季節によって変動があるものの、大体25000円位。

しかし、元夫が1日中自宅にいるため、夏場は24時間エアコンが稼働している状態であり、夏は電気代だけで3万を超えた月もありました。

保育費+主食費+諸費用

当時、長女だけは保育園の在園していました。(待機児童はいない地域です。)

そのため、月10000円ほどではありましたが保育関係費(諸費用込み)がかかっていました。

通信費

固定電話が無かったため、2台の携帯電話を契約していました。合わせて10000円程度

しかも、元夫の名義では携帯電話の契約ができなかったため、2台とも私の名義でした。(別居と共に元夫使用分の電話は即解約しましたが)

一見すると、義実家からの食品の援助があれば私の収入だけでも「ギリギリやっていけそう」にも感じますが、実際には「被服費・通院費」などもかかっていますので生活するだけでもかなり厳しい状況でした。

スポンサーリンク

元夫の維持費

私は労働収入、子どもたちは児童手当…とみんな何かしらの収入を持っていたにもかかわらず、元夫は「無収入」の期間が1年以上続きました。

しかし、元夫も生きている以上「維持費」はかかってきます。

もちろん「食べるな」「電気を使うな」とも言えませんが、元夫の場合は必要以上の維持費がかかっていました。

嗜好品費

アルコール依存だった元夫は、1日当たり3L以上は飲んでいましたので、それだけでも月30000円は軽く超えていました。加えて喫煙者でもあったため、1日2箱、こちらも月30000円は超える出費でした。

正直、家族の食費よりも元夫の嗜好品費の方が高かったです。

信じられない話ですが、実話です。

「嗜好品なんて買わさなければいいじゃん」という意見もあるかと思いますが、元夫は自分の思い通りにならないと「暴力・暴言」に訴える人でもありましたので、私も「穏便」に済ませたいがために、見て見ぬふりをぜざるを得ない状況でもありました。

食費

義実家からの食材だけでは足りない部分もありました。幼い子どもも居ましたので、なるべくタンパク質も取り入れた食事の準備も心掛けていましたが、子ども余も元夫の方が「食事」に関してうるさかったように感じます。

そもそも、収入が少ないため「充分な食事の準備」もままならない状況でしたが、元夫は、

  • 品数5品は無いと「これだけ?うわ~手抜き」と言ったり、
  • 市販のカレーやシチューのルウを使うことを許してくれなかったり、
  • 市販の味付けの元(マーボー豆腐の素や焼きそばソースなど)と使うことも輸すしてくれなかったり、
  • 元夫の食事後には必ずラーメンなどの締め料理を出さなくてはならないなど、

とにかく必要以上に「お金と時間をかける料理」を要求をしてきました。

私としては、「毎食後にラーメンは不要」「カレーのルウだって1箱100円で手に入る」「食事の品数も3品もあれば充分だし、そもそもそんなに材料が使える環境でもない」と思っていたために、元夫のためだけに余分な食費がかかっていたことに対して納得は行かなかったのです。

水光熱費

先にも書きましたが、元夫が1日中家にいたときは光熱費もかなりかかっていました。

特に夏場が顕著で、1日中エアコンがフル稼働だったため、電気代だけでも家賃に追いつくんじゃないかというくらいのものでした。

元夫の維持費だけでも「月10万はくだらない」くらいでした。

働かない元夫と家族でいることのメリットはあるのか?

正直、ありません。

まだ、仕事をしていなくても「専業主夫」としてでも家庭を支えてくれていれば、多少のメリットもあったでしょう。しかし、元夫の場合は、外で仕事をしなければ、家庭を支えるために家事育児を積極的におこなっていたわけでもありませんでした。

子どもの父親…というポジションではありましたが、「家族」ではなかったように感じます。というのも、「助け合い」が無かったからです。

自分は何もしないで、人には求めるものが多いのは家族として「なし」です。幼い子どもであれば「無償の愛」を与えることもできますが、何十年も生きてきた成人男性には、無償の愛は与えることは出来ません

最終的には子どもの父親としても、「良い影響」を与える人ではないと判断しました。

スポンサーリンク

さいごに

わが家の婚姻生活末期の家計はひと月当たり、

収入約125000円

支出は約200000円弱

と、完全なる大赤字でした。

しかも、その大赤字の大半は元夫の維持費にかかるものであったため、離婚してしまった今は、それだけでもかなり生活が楽になったとすら感じるのです。

また、当時よりも私自身の就労収入も増え、児童手当や児童扶養手当なども私の口座に入金されることになったので、生活費のやりくりもうまくいくようになりました。

  • 元夫に勝手にお金を使われなくなった
  • 余計な嗜好品が不要になった(私は甘味があれば満足です)
  • 家賃はもちろん、光熱費や必要な支払いも滞納なくやりくりできるようになった
  • 今では娘にも全日制高校への進学もさせてあげられるようになった(教育費にお金が回せる)

など良いことづくめです。

「男性は外で働くべき」、「女性は家事育児を積極的におこなうべき」なんて言いませんが、夫婦である以上、お互いが家庭内や家族のことを考えて円滑に生活が回っていくようには配慮すべきだと感じます。どちらかがどちらかに依存し、頼り切ってしまうような家庭は、円滑にいかないのではないかなと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました