巻きタオルひとつで「継母からのモラハラ」小学校時代の記憶から誓った決意

プール開きも終わり、娘も息子も本格的に水泳の授業が始まりました。

2人ともタオルは当たり前のように巻きタオルです。(スカートみたいなやつです)今は学校側から巻きタオルを指定されます。当たり前のように2人の水着などの準備をしていると、準備私はふと昔の嫌な記憶がよみがえってきました。

約30年前の小学校では「巻きタオル」必須ではなかった

それはまだ巻きタオルが、学校指定ではなかった時代、私が小学4年生のころのことです。

この当時から巻きタオルというものはしっかり存在していたのですが、昔は今みたいに学校からお便りで巻きタオルを指定してくれることもありませんでしたので、私は普通のバスタオルしか準備してもらえませんでした。

巻きタオルはお値段も張りますが、着替えにも便利ですし、その当時でも周りの子はほとんど使用していたのです。購入しなくとも家庭で作ることも可能でした。

巻きタオルが欲しくなり継母にお願いしてみる

当時の私も、巻きタオルが欲しく、恐る恐る継母にお願いしたことがありました。

しかし彼女は開口一番にこう言い放ったのです。

「そんなもの必要ない!ハンッ、色気づきやがって!!」

継母とは言え、一応母親という立場であり、同じ女でもあります。小学校高学年の女児にこんなこと言えるでしょうか?

一般的な親であれば、子どもの気持ちを汲んでくれるところではないでしょうか?今の私でも子どもにこんなこと言えませんし、むしろ純粋に子どもの成長を喜んでしまうのですが…。

ところが継母は、巻きタオル=着替えに恥ずかしいから=子供のくせに生意気という思考だったと思われます。

継母は私の成長が許せなかった

どうも継母は、私が子どもから女性になっていくことが許せないようだったのです。

  • 私が一時期病気をして太ってしまったときには、「そんなデブでどうするの?」と言いながらも嬉しそう。しかも何度もしつこい。
  • その後、継母にいいように使われたことで急激に痩せた時には「なんて不経済(服のサイズ)な奴だよ。」と嫌味を言う。
  • 髪の毛を縛っただけで「色気出してるんじゃないよ」と小言。
  • 「髪の毛にパーマかけて可愛くしてあげる」と言い出し、断ると逆切れするだろうと思い任せると、見事に前髪だけかけられどっかのおばさんのような仕上がりになった(これはもしかしたら悪意はなかったかもしれませんが、私は悪意を感じました。)
  • 太っていた時の私の写真を何度も見て笑いものにする(これも悪意を感じました)
とまあ、数々の悪意を私に向け、私のことを貶してバカにして楽しんでいるようにも感じました。

モラハラ気質の継母の子育ては「子どもの成長を喜ぶことを一切しない」ものでした

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中学校では水着すら購入してもらえなかった

そして、中学校に進学してから継母の対応はさらにひどく、「小学校のものを着ればよい」と言い張られ、私は中学校指定の水着すら買ってもらえなかったのです。
当然決まった水着がないため授業が受けられなく、私は毎回仮病とけがを理由に見学をしていました。
この当時は、教師から生徒に個別に事情を聴くということもなく、ただ淡々と学校生活を行っていた印象ですので、だれも私の家の裏事情を知る人はいませんでした。
ただただ体育の成績が下がるだけだったのです。

年月が経ち、子どもにとって恵まれた時代になったなと感じた

そう思うと、今の時代恵まれているなと感じます。
巻きタオル一つでもそうですし、何かあれば児童一人一人に手厚く指導が行き届くように先生の配慮や、児童・生徒の悩みを専門に聞いてくれる相談窓口もあるのです。
例えば、忘れ物が多い児童・生徒は「ただのうっかりさん」もいれば、「保護者に準備してもらえない事情を持つ子」もいます。同じ忘れ物が多い子であっても、この2者は全く異なるものなのですが、一昔前ではこれらは全て「忘れ物が多い子」とひとくくりにされていました。
でも現代では、子どもの様子を見て「虐待」「ネグレクト」「発達問題」などの可能性につなげて周りの大人が動いてくれる時代になり、「保護者に準備してもらえない子」を見つけ出せるようになってきました。
私も子どもの頃の経験からわかることなのですが、子ども自らが家庭内で起きたことのSOSを出すことはほぼない(できない)ので、「周りの大人が子どもを見守ってあげる」という考え方はとっても良いことであると思います。
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さいごに

私は自身が子どもの頃の記憶を思い出す必要がないと思って生活しているのですが、子どもたちの水泳の準備をしていただけで、モラハラ継母から受けた仕打ちを思い出してしまいました。自分で思っているよりも私が子どもの頃に受けた心の傷は深いもの…だったのかもしれません。
だからと言って自分の子どもたちに対して「私と同じ思いをさせてやろう」なんて考えたことも無いですし、「もう少し苦労すればいい」と思ったこともありません。
むしろわが子には私と同じつらい思いをさせないぞ。という気持ちが強くなったのでした。

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