わが家の息子は、0歳5か月の時に川崎病にかかりました。
今回は、実際に体験した川崎病のお話を書いていきたいと思います。
川崎病とは
川崎病とは、全身の血管の炎症によって(原因ははっきりしていません)様々な症状が出る病気です。
症状
以下のうち、5つ以上の症状が出ます。(5つでない場合は不全型といいます)
- 5日以上続く発熱
- 目の充血
- いちご舌が赤くはれる、切れる
- 発疹
- 手足が赤くはれる
- 首のリンパ腺の腫れ
症状の出方にも個人差はあります。
治療には、免疫グロブリンを使用しますが、場合によってプレドニゾロン、アスピリンも併用します。そのため、必ず入院治療となります。
息子の場合は、免疫グロブリン・プレドニゾロン(ステロイド)・フロベン(抗血小板薬、通常はアスピリン)を使用することになりました。
川崎病発症
我が家の息子は、生後5か月0日で発症しました。
事の始まりは、とにかく母乳を受け付けなくなったことでした。
まだ離乳食開始前だったころなので、基本母乳で育てていました。
しかし、与えても吐くし食欲もなく、機嫌も悪くぐったりしていました。
継続して39度を超える発熱もありました。
かかりつけの医院が休診だったこの日、なんとなく母親の勘で「まずいな」と思い、少し離れているところにある、総合病院を受診しました。
病院は込み合っていたため、待ち時間が長かったです。
ですがその時間があったおかげか、待っている間にお腹周りの発疹、目の充血が出てきました。(自宅にいるときには気づきませんでした)
診察が始まると、すぐ医師に
「リンパ腺の腫れ、いちご舌の症状もあります。川崎病の可能性が高いです。川崎病を否定するための検査はいくつかしたいと思いますが、おそらくすぐ入院になります。」
と言われました。
検査の結果、アデノウイルスと溶連菌も陰性。レントゲンで肺炎も否定されました。
血液検査では、
白血球が増加(20340/μL)
CRP陽性(5.45mg/dL)
であったため、川崎病を否定されることなく、この日入院となってしまいました。
この時、なぜか肝機能も悪化しており(AST211・ALT68)このあと、アスピリン(血流をよくする薬)が使えないことがわかりました。
この時から、息子は24時間点滴につながれることになりました。
入院のために病棟へ…
午前中に受診したのですが、気が付けばもう14時半。付き添いで来ていた私は昼ごはんもまだでしたが、病棟からのお迎えが来たこともあって病室へ移動しました。
処置室で川崎病の詳しい説明をされました。
病室はクリーンゾーンのナースステーションからほど近い場所で用意されました。
川崎病のスコアリング
外来で医師による川崎病のスコアリングが行われており、(点数が高いほど重度のようです)息子は重症の結果が出ていました。
詳しいスコアリングはわかりかねますが、一部聞いた話によると、
- 男児か女児か(男児の方がスコアが高い)
- 生後1歳未満か(0歳児はスコアが高い)
- 冠動脈に動脈瘤があるか(動脈瘤があるとスコアが高い)
などなど、他にもたくさんの項目があるようです。
治療開始
スコアリングの結果を踏まえて、通常の治療の免疫グロブリン+内服でフロベン(息子は肝臓の数値が高かったのでアスピリンは使えませんでした)にさらに、プレドニゾロンを並行して点滴で入れていきました。
- 免疫グロブリンは50㏄の注射器に入っており、それを1時間に15㏄ゆっくり注入していくという気の長い注射でした。(機械操作ですが…。)それを7本続けて打っていきます。これで1セット。丸1日近くかかる注射です。
- フロベンは1日3回の内服です。(一緒に胃薬も出されました。)
- プレドニゾロン(ステロイド)は、1日3回10ccを30分かけて点滴で入れていきました。
と言われていたため、病室で静かな時間を過ごしていました。
川崎病の子に、免疫グロブリンは特効薬のようなものです。
息子は、かかりつけ医の解熱剤でも全く下がることのなかった熱も、入院初日の夕方には37度台になり、数時間後には36度台までになりました。
しかし、この時はまだまだ母乳の飲みは悪く、くったりしていました。
緊急入院に当たって困ったこと
娘の預け先がない!
ちなみに、これまで触れてこなかった娘の存在ですが、息子が入院をすることになった日はたまたま保育園をお休みさせていました。預け先はもちろんありませんので、外来受診時も一緒に連れて行っていたのです。
そんな中いきなり、弟の入院+母親付き添い
という結果となった時、一番はじめに考えたのは当時年長の娘のことでした。
自宅で、夫に見てもらうとしても娘が一人になってしまう時間が必ずできてしまうし、この時まだ娘は年長。それは困ります。
そこで医師に
「入院となってしまうと、娘が一人で過ごさなくてはいけなくなるので困る」
と伝えました。
- トイレとお風呂以外は病室を出ないこと(子どもは病気を拾いやすいということでした)
入院用品も持っていない!!
入院2日目以降
しかし、変化があったのは、4日目早朝。
息子がぐずり始めたので抱っこすると明らかに『熱い』この時、体温は37.8度。少し様子を見ることにしました。
その後、38.0度→38.6度と体温が上昇したため、看護師さんに伝えて医師に来てもらい診察をしてもらいました。
「川崎病の再燃ですね。2回目のグロブリンをやりましょう。」
とのことで、入院初日に行った免疫グロブリンをもう1セット行うことになりました。その後、2時間ほどで熱は37度台に落ち着きました。
2回目の免疫グロブリンは入院5日目の昼ごろまで続きました。体調がよくなった息子も少しづつ笑顔が出るようになりました。
しかしまだまだ、プレドニゾロンは点滴で入れていますし、フロベンの内服も飲んでいます。川崎病の治療は続いていました。
入院から7日目・8日目
点滴で入れていた、プレドニゾロンを上手に飲めるようなら内服に変えて点滴を抜針するとのこと。(苦い薬なので、飲ませることが難しいようです。)
薬を飲む様子を主治医も見届けてくれましたが、あろうことか息子は医師の目の前で吐いてしまったのです。
その様子を見て、
「もう少し様子を見ましょう」
とあっさり主治医に言われてしまい、この日の抜針はなくなりました。
翌日(入院8日目)午前中、もう一度主治医に診てもらい 、何とか飲めることを確認してもらい、元気もあるし何とか薬も飲めているということで、この日の昼ごろめでたく抜針となりました。
約1週間ぶりに見る自分の手に大喜びだった息子。じっくり見つめて感傷に浸っている姿がとてもかわいらしかったです。…でも、1週間包帯で巻かれていた手は臭かったです(笑)
入院8日目にようやく内服のみになるものの、ステロイド薬であるプレドニゾロンを多量に使用しているため、感染症のリスクが高いとのこと。
今飲んでいる量の1/4の量にならないと退院できないと言われました。
目安はこの段階から、1週間~10日くらいとのことでした。
息子の退院をせがむ夫
入院から8日目の夜、夫から電話があり、
「早く退院させられないか医者に聞いてくれ!」
と言ってきました。(元夫はモラハラ気質が強いため自分中心で物事を考えます。)
私は完全に治してからの退院を望んでいたのですが、入院9日目の回診の時間に一応は夫に言われたことを聞いてみました。
この日は血液検査と、心エコーの検査をしていました。
白血球が23300/μLでかなり高かったものの、プレドニゾロンの影響とのことで問題なし。心エコーの結果、動脈瘤もできていなく冠動脈も正常とのことで、
本当はもう少し様子見したいところでしたが、
- 経過が良好なこと
- お姉ちゃん(娘)が一緒入院に巻き込まれたこと
を考慮してもらえ、何かあればすぐに受診すること(かかりつけ医でも可)を条件に2日後の退院を許可してもらえました。
退院前日(入院から10日目)
入院から13日目(退院前日)、プレドニゾロンの量がこれまでの半量になりました。
でも、本来の退院時の目標量からはまだ2倍の量でした。
私は医者ではないので、この量がどれほどのものなのかはわかりません。
しかし、主治医が言っていた量になってからの退院が望ましいのは間違いないでしょう。
ですが、夫に逆らえなかった自分がいました。今思い出しても本当に情けないです。
退院当日(入院から1Ⅰ日目)
入院から11日目、退院当日の午前中。
回診後に退院許可を出してもらい、1週間後に外来の予約を入れて、何事もなく退院手続きをしました。
本当であれば、血液製剤である免疫グロブリンは高額なもののようです。しかも再燃をしてしまったため、2セットも入れています。大人なら、高額医療にあたります。
ですが、子どもの医療費は自治体で持ってくれるので、実質かかった料金は0円(息子は母乳のため食事なし)でした。
ただ、私と娘の売店で食事を買ったお金が結構かかってしまいました。(外出できないので仕方ないのですが…。)
せめて夫が自宅から私たちのご飯だけでも持ってきてくれていれば、もう少し出費は抑えられたと思いますが、それはかなわぬ願いでした。
まとめ
息子は、川崎病の中でもスコアリングで重症と診断されました。
治療は、ライン確保・水分補給用に24時間点滴を入れており、点滴の脇から免疫グロブリン・プレドニゾロンの静脈注射をしていました。
抗血小板薬には肝臓に負担の少ないフロベンを使用しており、途中から点滴で入れていたプレドニゾロンも内服に切り替わりました。
検査は、血液検査・心臓エコーを複数回しました。
息子は2度目の発熱から再燃も経験しました。
ですが、無事に退院でき、その後も変わったことなく過ごせています。
ただ違うことは、「川崎病急性期カード」を持ち、何かあった時に医療機関に提出することをお願いされたことくらいでした。
↑写真は裏面です。表面には患者(息子)の名前、発症日、入院期間、治療を行った医療機関、主治医の名前が書かれています。(今現在までにこのカードを使用するようなことはありませんでした。)
あれから8年近くたった現在も元気に過ごしており、日常生活・運動など制限は一切ありません。今は、鬼ごっこが大好きな元気な少年となりました。