婚姻当時、元夫が無職になってから我が家の家計は火の車の状態が続きました。
私はフルタイムパートとして勤務していましたが収入は家族4人で暮らすにはかなり無理があり、毎月の家計が大赤字だったのです。
家賃の滞納が積もり積もったころ、無職であった元夫はようやく重い腰を上げたのでした。
はじめに
当時の我が家の状況を簡単に書かせてもらいます。
- 家族構成は元夫、私、娘(5歳)、息子(0歳)
- 収入源:私のパート代(時給750円)・児童手当・元夫の失業手当
- 娘は何とか保育園に在籍させてもらっている
- 息子は保育園に入ることができず自宅で元夫と一緒にいる
- 元夫は毎日嗜好品をたしなんでいる
- 支払いは遅れがちになっており、家賃に至っては半年滞納している
大家さんが優しかったのかいい加減だったのか、家賃に至ってはあまり厳しく取り立てられた記憶がありませんでしたが、常識的ではない生活をしていたのです。
世帯収入をあげることが最優先
支出を抑えることはもちろんでしたが、わが家の場合は世帯収入をあげることの方が先だったように感じます。
少なくとも元夫が、専業主夫でいられるほど私一人の稼ぎが良くはありませんでした。元夫に少しでも働いてもらうことが最も効率よく世帯収入を上げる方法ではありました。
しかしながら、元夫は職安にはいくものの、次の働き先の面接も決めることはなく、ただただ職安に通うだけ…でした。
そうこうしているうちに元夫の失業手当も支給されなくなっていきました。
失業給付が受けられなくなった元夫は次なる作戦に
失業給付も永久に受け取ることはできません。本来であれば、失業給付の期間が終わってしまう前に再就職先を見つけて仕事を始めていなくてはならないのですが、先に書いた通りたいしてまじめに仕事を探していなかった元夫は、仕事が決まる前に失業給付の受給期間が終わってしまいました。
元夫は完全に無収入となってしまい、世帯収入はさらに悪くなってしました。
さすがに生活ができないと理解した元夫は、とある行動に出ました。
元夫の実家に出向く
元夫は自身の実家を頼りました。
要するにお金の無心でしたが、元夫が原因(仕事をしない)での極貧生活でしたので、両親に頭を下げて助けてもらうことも仕方のないことだと思います。
結局、元夫実家からは金銭的援助と当面の食品(家庭菜園の野菜など)の援助を受けることができました。
- 滞納している家賃・保育料の清算
- 当分の生活費(月数万くらい)
- 家庭菜園でできた野菜や米
本当にどうしようもなかった時でしたので、大変ありがたい援助でした。
元夫実家からの金銭的援助を受けるための条件
元夫の両親もいくら実の子とはいえ、いい年下をした大人への資金援助をするわけですので、援助をするにあたっての条件を提示してきました。
- 就職活動をしっかり行い、必ず働きに出ること
- 支払いをするものは遅れずに行うこと
- もし、仕事の絡みで子どもが一人になってしまう時間帯ができそうであれば元夫の実家で預かってくれること
要するに、元夫に「しっかり働け」と伝えたかったようです。(当たり前ですね)
元夫のねじれた解釈
元夫の両親は、息子である元夫へ「一家の大黒柱としての責務をしっかり果たせ」と伝えました。社会人であれば当たり前のことなのですが、当時の元夫はこんな当たり前のこともできていませんでした。(今でも…だと思います。)
それどころか両親に言われたことをどこか自分の都合の良いように解釈していたのです。
- 俺の実家から援助をしてもらうのだから、当然嫁(私)にはしっかり働いてもらう
- 俺の両親に介護や世話が必要になった時は、援助のお礼も兼ねて嫁(私)にしっかりやってもらう
- 俺は子どもの世話で忙しいから、仕事と家事育児を協力する(←意味不明)
- 俺の両親に援助してもらうのだから、私は泣き言を言わず、仕事・家事・育児・(必要になったら介護)を行うこと
- とにかく恩を仇で返すな
と、とにかく私に対して「働け」「俺の両親に尽くせ」「世話になるからお礼をしろ」など、なぜか私が元夫の両親に尽くさなければならない構図にすり替えられていました。
確かに、助けてもらうことに対しての感謝の気持ちはありますが、助けてもらわざるを得ない状況にしてしまったのは間違いなく元夫です。
問題点のすり替え
この時一番に考えなくてはならなかったことは、「今現在の状況の改善」でした。我が家の場合は、
- 元夫の再就職
- 生活費の捻出
- 生活の安定
- 子どもの預け先
生活を立て直すためには、世帯収入を上げることを一番考えなくてはならないことでした。
元夫実家へのお礼や、当時元気であった元夫両親の介護などはこれらが落ち着いてからでも十分間に合います。むしろ、問題が解決して改めて…が筋だと思います。
しかし元夫は、自分がお礼をするという発想は全くありません。すべて私へ「やれ」と言いました。元夫の他力本願気質が発揮されたところでもありました。
元夫いわく、
- 俺の家系へ迷惑をかけたのだから、血のつながりのないお前(私)は、恩恵を受けた。したがって俺両親への忠誠は絶対だ。
とのことでした。
そもそも元夫自身が原因であるにもかかわらずです…。
元夫の実家からの援助を受けるものの…
滞納して得いた家賃も含め、当分の生活費の一部を元夫の両親から「援助」してもらうことになりました。もちろんおんぶに抱っこというわけにはいかないので、時間の許す限り仕事をしようと思いました。私はフルタイム勤務で、土曜・日曜関係なく働いていました。
しかしそんな中でも肝心な元夫は、仕事はおろか求職活動すらまともに行いません。
そんな元夫の様子を見て元夫の両親(義両親)は、
「私たちも援助し続けることはできない…。限度はある。」
と、本音をこぼしました。
迷惑かけ続けることができず離婚へ踏み出す
義両親に金銭的な迷惑をかけ続けることが心苦しく思っていた矢先、元夫と私との間に警察が介入する事件が起き、私は元夫に対して被害届を提出する運びとなりました。
義両親へ恩を仇で返す様な形になってしまうことを心配したのですが、この時義両親は完全に私の味方となってくれました。
「息子(元夫)は警察に捕まえてもらって、これまでの事を反省させなければならない。私たちのことは気にしないで おやっさんさん 自身を第一に考えて。」
と元夫への被害届の提出や、元夫との決別に背中を押してくれました。
被害届を出し、元夫が警察に拘束された後は、それまで住んでいた自宅から引っ越すために義両親の協力のもと、慌ただしく動いたのでした。
さいごに
自宅から出た後は、市役所でのDV・モラハラの相談記録や警察からの言葉添えがあったこともあり、比較的スムーズに「母子生活支援施設」への入居が決まりました。
元夫と離れての生活が始まったと同時に離婚調停の申し立てを行い、調停を経て裁判へ移行しましたが、無事に離婚が成立したのです。
モラハラ人は、「自分は悪くない・自分が正解」と信じ込んでいますので、今回のように、『自分が働かないことによって家計が火の車』であっても、 私に対して
「(俺の両親にお金の無心をしなければならない状態になったのは)お前は他力本願だからだ。」
と言い切ります。全く理解不能です。
改めてモラハラ人との会話の難しさを感じる出来事でした。