私が小学生の時に、父はモラ継母と再婚をしました。
モラ継母は父のことが大好きだったと思います。もちろん父も好きだったから再婚したのだと思います。しかし、モラ継母は私のことは好きではありませんでした。
もちろん私もモラ継母のことはいまだに好きではありませんし、お互いを分かり合おうなんて微塵にも思ってもいません。
そんなモラ継母は、父の娘である私のことを「女としてライバル視」していたのでは?と思う出来事を思い出しましたので書いていきたいと思います。
髪の毛の長さの制限
中学生のころ、髪の毛が伸びてしまい校則に触れる長さになってしまったため、黒いゴムで後ろひとまとめに束ねたところ、モラ継母に
「色気づきやがって」
と言われたことがあります。
継母は私が幼い頃から、私が髪の毛を伸ばすことを許してはくれず、私の髪形は長くても肩に触れないくらいのボブ、時には髪質に会わないベリーショートを美容師さんに注文(私の意見は聞いたことがありません)するほどでした。
ひどい時は私が美容室でカットして帰ってきてすぐに、「床屋に行き直して刈上げにして来い。」といい、「カットしたばかりだから…」と断ると、はさみを持ち出して私の髪の毛をわしづかみにしたと思ったらザクッと切ってきたこともありました。(注:これは傷害事件案件です。決してマネしないでください)
当時私は子ども心に「継母は私の髪の長さが短くないといやなんだ…」と感づいていましたが、それが確証に変わったのは、私が成人近くになったころのことでした。
父の好みがロングヘアーの女性らしい
考えてみれば継母は出会ったときからロングヘアーでした。頭に楽々お団子を作ることができるくらいの長さでした。
しかし、たった一度だけ気分を変えるためなのかショートにしてしまったことがありました。私個人的には、継母はロングよりも断然ショートの方が似合っているのではないかと思ったのでした。(顔の形や顔の造りからして)
そんなある日、機嫌のよかった継母からとある事実を聞かされました。
「お父さん(父)ったらね、私が髪の毛を切ったら、『長いほうが良かった…』ってガッカリしちゃってたの~♡」と。
のろけもあったかもしれませんが、なぜか継母の顔は「勝者」の優越感に浸っていたようにも見えました。とは言っても、私にとっては血を分けた父親だし、別に異性として見るようなこともありませんでしたが、この時継母は私のことを完全に「父(夫)をめぐるライバル」くらいに思っていたのではないかと思います。
と同時に、これまで私がロングヘアーにすることを許さなかった継母の真の思惑が見えた気がして妙に気持ち悪く思えたことは言うまでもありません。
継母は私が父好みになることが許せなかった
継母は、私が父の好みのかわいらしい女の子に育つことを阻止したかったのだろうと思います。
しかし、父から見れば子どもは無条件にかわいい存在です。これは当たり前のことです。でも継母にはそれが許せなかったのです。継母からすれば、自分が一番(父から)愛してもらう対象だからです。
実際に父は私と継母、どちらとも大切にしようとしてくれていたと思います。ですが、嫁と娘では同じ大切でも種類が異なります。子どもの頃の私でもそのくらいのことは理解できました。
でも継母はおそらく「自分が一番でなくては許せない」のであったと思います。
本当に私の存在そのものが邪魔だったのかもしれません…
服のサイズ
高校生の頃、私は持病のぜんそくで集中治療室にお世話になるほど重症化してしまったことがありました。そのころを機に、10キロ以上太ってしまったことがあり、それまでの洋服も着ることができず、新調したことがありました。
太ってしまったことを必要以上にいじる
私の洋服に関しては無関心だった継母が、珍しく私に何着かの洋服を買ってきてくれました。(私の好みをまるで無視ではありましたが)
それでも太ってしまって着る服が少なくなってしまった私にとっては大変ありがたいことでしたので、素直にお礼を言いました。しかし継母は服を買ってきてくれるだけではありませんでした。
「醜い白豚のようになっちゃって~」(私が継母と違って色白だったこともあって、いやみたっぷりでした)
そして、買ってきたのはかつてドラマになっていた「裸の大将」を連想させるベージュのハーフパンツ数着と大きい男物のTシャツでした…。
この後継母は何かにつけ私のことを、
- 太い
- 関取
- かわいくない
- 30代みたい(私は当時17歳)
など、年頃の女の子にはかけないような言葉をなかなかしつこく言い続け、私はそんな継母をますます嫌いになっていったのでした。
働き始めて痩せたときもひどい言葉を…
その後、掛け持ちで2か所での仕事(+家事の手伝いもかなりさせられていた)をした私は、ダイエットを意識することも無くみるみる元の体重まで減らすことができました。
これは単純に日々が忙しすぎたことによるものでした。
しかし、そのことを面白く思わなかったのはやはり継母でした。
痩せたことによって洋服のサイズが変わってしまった私に向かって継母は容赦なく、「お前はなんて不経済な奴なんだ」と言い放ちました。
もちろん、瘦せた私に新しい服を買ってくることもありませんでしたので、私の働いて得た給料の中から自分で洋服を購入することになったのです。
本来であれば健康的に痩せた娘の身体のことを思って喜んでくれるのが親…と思うのですが、とっても残念な人でした。(継母は私のことを娘とは思っていなかったでしょうから、仕方のないことかもしれません(-_-;))
この頃は継母が嫌いな家事と思われる、掃除&洗濯を行うことを強要されており、私が自宅で休める時間はかなり限られたものとなっていました。
継母はおそらく自分が楽をするために私に掃除と洗濯を命じていたのですが、皮肉にもそれが私の減量に貢献してしまっていたことには気づいたか気づかなかったか…。
さいごに
実家での私の立場は「父の連れ子」であって、家の長女ではありませんでした。
継母自身も自分の子どもを産みましたが、それでも私を「一番上のお姉ちゃん」とは認めてはいないようでした。(仕方ないことかもしれませんが)
それどころか、ことあるごとに継母は私のことを「目の敵」にしていたのではないかとさえ思えてきます。
「それは被害妄想だよ。」
と思われる人もいるかもしれませんが、今回書きました2つの事例はほんの一部のことです。こういったことはほぼ日常的にあったことです。
少なくとも継母は父が在宅しているときは私に対して暴力をふるってきたり、罵声をあげることはありませんでした。ただ、静かに睨みつけてくることは日常茶飯事でした💦
ですので結果的には私は成人と同時に自立をし、その後は実家とは疎遠になってしまいました。(今後も関わることは無いと思います。)
今回はごくごく一部のモラハラ継母の子育てについて書かせてもらいました。
反面教師とはよく言ったもので、「絶対ああいう大人にだけはなりたくない。」と子ども心に思ったものです。
そして自分自身にも子どもが産まれ、子育てを行うことになりましたが、子どもの成長に関して「妬み・ひがみ」なんて全く感じることがないことがわかりました。これはよその子に対しても同じだと感じます。
なぜ継母が私の成長に伴う変化に(髪の毛を縛ったり、成長に伴って痩せてすっきりしたりなど)いちいち嫌味とも取れる言葉を投げかけてきたのか?いまだに理解できません。…いや、多分この先も理解できないであろうと思います。