私の両親は私の物心がつく前に離婚、そして小学生の時に再婚をしています。私は父親に引き取られたのですが、再婚後にできた継母との間にはいまだに大きな溝があります。
というのもこの継母、今思えば「元夫と同じモラハラ人だったのでは?」と感じる行動が多かったのです。
今回は、継母のモラハラぶり(?)を書いていきたいと思います。
子どもは家事を手伝って当たり前
子どもがお手伝いをすることは、親にとってはありがたいことです。ただ、一般家庭においてのお手伝いというと、
- 忙しい親の代わりに家事の一部を子どもに託す
- 子どもの生活力を高めるために、様々なことを教えていく
- 子どもに家庭内での責任感を持てることを与える
など、子どもに生きるための家事を教えながら一緒に生活する、という目的でお手伝いを任せることが多いと思うのですが、私が子どもの時は少し違っていました。
ちなみに私の実家は両親共働きではありましたが、普通の家であり農家でもないですし、田植え休みがあるような時代でもありません💦
土曜日曜必ず行う家事
小学生の頃でした。小学生と言えど宿題はありますし、仲良しの友達とも遊びたい盛りです。しかし、継母はそんな事お構いなしで家事を要求してきました。
- 洗濯ものを洗う・干す・取り入れる・たたむ・しまう
- 家中の掃除(1階から2階+階段)
- 布団を干す・しまう
- 晩御飯の配膳
- 晩御飯の食器を洗う・拭く・片づける
以上のことは毎週課せられていました。
毎週ではありませんでしたが、時々晩御飯を作ることも要求されていたため、週末はほぼ主婦のような動きをしていたのは、小学4年生ごろからでした。(因みに再婚は私が小学2年生の頃でした。)
家事はやって当たり前、仕上がりが気に入らなければ文句
子どもが家事を行ったら、仕上がりが完ぺきではなくてもまず初めに、
「ありがとう。助かったよ。」
という親御さんがほとんどだと思います。私もそうです。
しかし、継母はそんなこと言いません。なぜなら『家事は子どもがやって当たり前』だと思っているからです。
それどころか、仕上がりが気に入らないときはとことん文句を言いますし、やり直しもさせられます。
【継母、お手伝いに対する文句の一例】
- 部屋の角が汚れている、「掃除が雑」と文句を言う
- ダブルサイズのマットレス(なかなか重い)をあげて掃除のやり直しをさせる
- 洗濯物の干し方、たたみ方が気に入らないと怒る(こだわりが強く、自分の思い通りでないと怒りをあらわにする)
- ハンガーにかけてよい洗濯物とかけてはいけない洗濯ものの分類(小学生には判断が難しい)がうるさい
- (小学生が晩御飯を作れば)こんだけしかないの?と文句を言う
- 食器の洗い物は片付けまでひとりでさせる
継母は子ども相手に家事のできは完璧を求めるので、子ども心に「どうせお手伝いをしても褒められやしない。」と思うようになり、次第にお手伝いという名の労働が苦痛でしかないものとなってしまっていました。
怒りの沸点が低く、持続力がある
親は子どもが悪いことをしたら叱ることも大切です。
しかし、継母はかなり行き過ぎた怒り方をしていたように思います。(あくまでも叱るではないと感じます)
すぐに怒り、ずっと怒っている
- 怒りに任せて物を投げつける
- 暴力は当たり前
- 口より先に手が出る
- 子どもが理解できるように説明はしない
- 私と2人きりの時を狙って暴力をふるう
- 口をきかない(無視)
- 説教がやたらと長く、6時間に及んだこともある
- 同じことを何度も言う
1つの怒りは何か月にも及ぶこともあり、「あの時あーだった」「このときこうだった」ことあるごとに蒸し返すことも得意としていました。
また、継母は自分の気分が悪いときは私のことをとことん無視します。こうなってしまうと、たとえ謝ったとしても許されることはなく、当然無視をしているので、私のことは「いないもの」として生活していきます。(食事の準備もされませんでした。)
怒りの沸点が異様に低い
そんなことでそこまで怒る?ということもあり、
- 両親の寝室で遊んでいたら、数時間にも及ぶ大説教
- 私が飼い犬に「そんなに吠えるな」と言っただけで「お前にそんなこと言う資格はない」と説教
- 学校のプリントを出し忘れただけで「無視」を決め込む(ただし継母から「プリントはないか?」などは聞かれたことはない)
などなど…
私が継母の立場であってもそこまでは怒らないかな…ということでも、長時間のお説教や無視の対象となりました。
予定が変わる事に対して対応ができない
例えば、休日の予定で「家族で動物園に行く」と決めたとします。しかし、前日に子どものうちの1人が発熱してしまいました。
さて、皆さんはどのようにしますか?
- 動物園に行く日を改める
- 子どもの様子を見て、無理しないように「行くか」「やめるか」を考える
- 夫婦のどちらかが残り、他の兄弟はもう一方が連れていく
おそらく、1~3のいずれかの選択をする家庭がほとんどだと思います。
しかし、継母は「発熱した子を一人で留守番させ、夫(私にとっては父)と下の子を連れて動物園へ行く」という選択をしました。(実話です💦)
しかも、午前または午後の数時間というわけではなく、昼跨ぎで午前中から夕方までの外出でした。
当時私は、小学5~6年生でしたので留守番そのものは慣れっこでしたが、発熱状態での1人での留守番は静かでよかったものの、やはり心細かった記憶もあります。
それよりも「置いていかれた」ショックの方が大きかったのですが…。
(どうしても動物園に行きたかったというわけでもありませんが、病人を取り残されたことによるショックが大きかったです。)
前日に発熱していたにもかかわらず、動物園行を取りやめなかったことは、「予定の変更に対応できなかった」からではないかと思います。モラハラを行う人は、自分の思い通りに事が運ばないことを一番嫌うので、決定事項を変更・中止することができません。
たかが「動物園へ行く」ということですら、決まった日でないとダメだったのでしょう。(我が家は日曜日には両親が自宅にいることが多かったので、予定の変更は充分に可能でした。)
平気で物を捨てる
私が大事にしていたものでも継母は勝手に捨てます。理由は「邪魔だから」だそうです。
部屋が散らかっていたからとかではなく、きちんと本棚にしまってあった図鑑(入学祝にもらったもの)や、引き出しにしまってあった自由帳や一生懸命集めたアニメのコレクション、学校で使う資料集なども「邪魔」という理由でゴミ袋に入れられてしまいました。
私の私物が気に入らなかったのかどうかわかりませんが、最終的には「勉強机」まで無断で処分されました。
何をもって邪魔とされたのかはいまだに理解ができません…。
洗濯は毎日でなくても良い
特に冬場には「洗濯物は毎日出すな」と言われていました。
- 最低でも2日以上は同じ服を着る
- 「誰が洗濯をしていると思っているんだ」と凄まれる
- 「毎日洗濯とか色気づくな」と理不尽に言われる
毎日洗濯…って普通ではないでしょうか?
子どもの服は、冬でもしっかり汚れます。学校へ行けば砂ぼこりの中で遊んだりもします。学校の授業で、墨汁や粘土など服が汚れるものを使うこともあります。食事の時にこぼしてしまうこともあります。
そんなこと考えなくてもわかることだと思うのですが、継母は「毎日洗濯に出す」ことを異常に嫌がりました。
そして、2日続けて同じ服を着て学校へ行く子どものことは全く考えてはくれません。
場合によっては、「汚い」「臭い」「不潔」と言われかねない状況であることも理解してはくれませんでした。
育ててやった金を返せ
自分の子どもに対して「生まれてきてくれてありがとう」とは言っても、「育ててやった金を返せ」なんて、普通は言いません。
しかし、継母は平気で言いました。
確かに継母にとって私は、自分でおなかを痛めて産んだ子ではない(他人)ので、こう言いたくなってしまう気持ちもわからなくはありません。
ですが、子どもには「親を選ぶ選択権」はありません。あとから継母が我が家に来た私の場合もそうでした。両親は自分たちの気持ちで「結婚」を決め、もちろん私という存在も含めての覚悟だったと思います。
ところが「育ててやったから金返せ」という言葉が出るのです。
こちらからすれば、「育ててくれとは言ってない」のですが…。(勝手に結婚したくらいに思っても不思議ではない)
家庭を持つということはたとえその家庭に連れ子がいたとしても、「連れ子も責任を持って面倒を見る」ことが大人としての責任ではないかと思います。そもそもいやなら結婚しなければ良いのですから…。
よその家の子ばかりをほめる
「○○ちゃんってかわいいよね…。それに比べてあんたはどうしようもない。」
「★★ちゃんは明るいよね。それに比べてあんたは根暗。」
事あるごとに継母から言われ続けていた言葉です。継母は自身の子(連れ子ですけど)のことを理解しようとはしてくれませんでした。
確かに私は、明るい性格ではありませんでしたが、継母にネガティブなことを言われ続けた結果でもあると思います。継母は私の良さを引き出そうとはしませんでした。
私はもともと絵が好きで自由帳に絵を描いているときが一番の楽しみでしたが、自由帳はことごとく捨てられました。理由は「邪魔」だったそうです。
私の良さを引き出す努力もしない、しかし他人の子はよく見える…「隣の芝生は青い」とはこのことでしょうか?
子どもの進路に無関心
中学時代、私の成績は中の上位あり、教科によっては学年順位が約150人中上位10番以内に入ることもあるくらいの成績でした。担任の先生も「進学できる高校の選択肢は多い」と言ってくれていたほどでした。
しかし、継母は私の進路には全く関心がなく、「就職すれば?」くらいに思っていました。理由は「学費を出したくない」とのこと。
当時の担任の先生も交えて、何度か保護者面談を行うも継母は意見を曲げることはなく、結局私は定時制高校に働きながら通う選択をするしかなくなりました。
さいごに
今回自分で文字に起こして、「嘘のような話だな」と感じてしまいました(笑)が、すべて実際にあった話です。
継母と一緒に暮らしていた当時、「私は嫌われているから仕方がない」と変に納得しようとしていましたが、大人になった今よく考えてみると継母はモラハラ気質があったのでは?と思えるようになりました。
- 自己中心的な考え方(自分の考えが正しい)
- ターゲットをとことん貶める(攻撃性)
- やたらに説教が長い(一貫性がなく、妄想・自分を擁護)
- 子どもを育てるものではなく、「使うもの」という考え(支配)
- 感情のコントロールができない(自己愛)
などなど、モラハラ加害者と共通することが多く、元夫(モラハラ)と非常に似た行動をとることが多かったです。
子どもの頃から継母のことは好きではありませんでしたが、今でも継母のいる実家には行きたくはありませんので、自立してからは実家とは疎遠になっています。
大人になれば分かり合える…ということはありませんでしたが、モラハラ気質のある人とは関わらないほうが良いと判断してのことですので、実家と疎遠になってしまっていることは致し方ないかなと思っています。
私も今は2人の子どもの母親です。
子どもたちに対しては継母のような接し方は絶対にしないと決めています。我が子には理不尽につらい思いをしてほしくはありませんから…。
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