私の身の回りではここ十数年の間に、大きな変化がありました。むしろ変わらないことを探すことの方が難しいくらいです。
十数年と変わったこと「家族構成」

十数年前の家族構成は、
- (元)夫
- 私(妊娠中)
- 長女
の3人でした。
一見ごく普通の家庭でしたが、家庭内では元夫の執拗なモラハラが横行しており、元夫は仕事を嫌々でしていた節がありました。事あるごとに「俺が働いているから生活できるんだ」「なんで俺ばっかり働かされているんだ」「俺は体がしんどいのにこき使われている」などと愚痴をこぼしていました。
私自身も産前ギリギリまで仕事をおこなっていましたが、第2子を出産してから間もなく元夫は私に黙って仕事を辞め、しばらくは失業給付と私の育児休暇中の手当+元夫の実家からの援助で生活することになってしまったのです。
モラハラ元夫は勝手に仕事を辞めるが職探しは難航する
モラハラ元夫との暮らしは常に金欠の極貧生活
こんな生活+元夫の暴力を伴うモラハラ行動+元夫の再就職に対しての消極的さに嫌気がさしてしまい、この後約半年後に離婚に向けた行動に踏み切ったのです。
結果的にはこの後、離婚調停・離婚裁判を行い、約1年の時を経て無事に離婚が成立し、子どもたちの親権も無事に私が持つことになったのです。
ですので今現在の我が家の家族構成は、
- 私
- 長女
- 当時おなかの中にいた長男
となっています。家族の人数は変わりませんが、構成が大きく変わりました。
十数年前と変わったこと「居住地」

先にも書きました通り、十数年前に一緒に暮らしていた元夫のもとを去りましたので当然居住地も変わりました。
しかしわが家の場合は、ただ単に引っ越しをしたわけではなく、「元夫の追跡から逃れるために身を隠す引っ越し」をしなくてはならなかったのです。
元夫はお手本通りのモラハラ夫でした。モラハラと言うだけでも厄介ですが、元夫の場合は『時々の暴力』もあったのでさらに厄介でした。
モラハラの共通点?被害者がマインドコントロールにかけられてしまう理由
小心者のモラハラ加害者は歪んだ成功体験によってモラハラを助長させます
基本的に元夫は誰かと一緒でなければ生活ができない人でした(他力本願)ので、私たちが家を出たところで元夫が必死になって探し出そうとすることが予想されました。
ですので、公的機関の助けも借りつつ県外の「母子生活支援施設」の入所を決めたのです。
元夫の追跡を逃れるために「住み慣れた地元を離れる覚悟」をきめ、県外の全く知らない土地への引っ越しをしたのでした。
十数年前と変わったこと「住居」

引っ越しをしたので当然なのですが、ここでは住居そのもののことについて書きたいと思います。
以前は先にも書きました通り元夫との生活真っただ中でした。元夫は婚姻時代の中でも無職期間が長く、家計は常に「火の車」状態でした。
当時暮らしていた住居は、
- 築50年超5階建ての4階(階段のみ)
- 2DK(6畳2間)
- 駐輪場なし
- 和式トイレ
- シャワー無し
- ベランダ無し
- 駐車場無し(車も無し💦)
- 洗濯機置き場無し(共有通路に置く)
と、なかなかの物件(笑)でした。(平成後期の話です)
婚姻時代は最終的に4人家族になったのですが、子どもが大きくなったことを考えるとかなりの狭さになるし、何よりも設備や環境が良くなかったこともあり、常に引っ越したいと考えていました。
ですが、引っ越しをするにもお金がかかります。元夫が無職でいる期間が長かったわが家では常に金欠だったため、引っ越しそのものが絶望的だったのです。
しかし、元夫と別居を経て離婚した後は、浪費家の元夫がいなくなったことで、私のペースで貯金をしていくことが可能になり、現在は県営住宅に入居することができています。
今現在の住居は、
- 築浅の県営住宅
- 4階建ての4階(エレベーターあり)
- 3LDK
- ベランダ・駐輪場・駐車場・シャワー・洗濯機置き場あり(笑)
- もちろん洋式トイレ
- 周辺には徒歩圏内に銀行、コンビニ、郵便局、病院、小売店などあり
- 小学校は近いが中学校はやや遠い(自転車通学可)
となり、子ども連れにやさしい住環境となりました。
十数年前と変わったこと「仕事」

県をまたぐ引っ越しをしたので当然仕事も変わったのですが、ひとり親世帯となってから「はじめての職種」で仕事を始めました。
元々調理師の免許を持っており、若い頃は飲食店で勤めていたり、クッキングスクールで勤めていたりもしました。調理に携わる仕事もそれなりにはしてきましたが、結婚してからは時間に融通の利く(交代要員が多い)「販売の仕事」をしてきていました。
販売の仕事も4~5年ほど続けてきましたのでその間は調理の仕事とは離れていましたが、元夫との別居から離婚を期に再び調理に携わる仕事に戻りました。
しかし、子育てとの両立も考えると夜遅くまで営業しているところや、日曜日出勤がマストと言われている飲食店での勤務は考えられず、「保育園の給食」を作る仕事を選びました。
ところが、保育園の給食を作る仕事と言ってもただ作るだけではなく、各書類作成、会議への出席、講習会への出席、お便り作成・発注業務と多岐にわたります。
特に飲食店経験しかなかった私にとっては「はじめてのこと」が多く、就職して1年目は一通りの仕事を覚えるだけで終わってしまった印象でした。
そんな感じでスタートした「はじめての経験が多い仕事」でしたが、令和8年で勤務12年目となりました。
十数年前と変わったこと「子どもたちがおおきくなった」

当たり前のことではありますが、10年以上もたつと子どもたちは別人のように成長してしまいます。
長女の成長
当時はまだ保育園の年中児だった長女は専門学生となり、当時から大好きだった音楽と今も関わった生活をしています。
中学高校の部活動では吹奏楽部に所属し、サックスを吹いていました。中学生の時には、「ギターが欲しい」とせがまれ、少し早いクリスマスプレゼント(笑)と称してギターを買い与えました。独学で弾いていますが、順調にコードも覚え、たどたどしくも2曲は弾けるようになりました。
その後高校では、吹奏楽部の幹部を2年間務め、うち一年間は「学生指揮長」として音楽講師の先生の片腕としてバンドをまとめる立場にいました。長女に関しては幼いころから、おもちゃの楽器を演奏しながら歌ばかり歌っていた子でしたので、「この先も音楽に関わって成長するんだろうな」と予想はついていました。
その予想も大当たりだったのか、あれから十数年たった現在では音響を学ぶ専門学校に進学し、日々の学習を資格取得を目標に頑張っています。
長男の成長
長男に至っては当時はまだ胎児でした(笑)私のお腹の中にはいたものの、まだ顔も見ない、声も聞いたことのない存在でした。しかし、その長男ももう中学生になります。
元夫と別居した当時が1歳になったばかりの時でしたので、このころと比べても生活上は手がかからなくなってきて育児においてかなり楽になりました。(別の意味ではまだまだ手がかかりますが)
子どもたちの十数年はかなり大きいものです。
さいごに
私(我が家)の十数年はめまぐるしく環境が変わりました。
そしてきっとこの先、10年の間にも大きな変化が起きるのではないかと思っています。特に子どもたちは二人とも成人を過ぎており、きっと各々忙しく働いていることでしょう。
私の10年後は…あんまり想像したくないですね。健康であればそれで良しなのですが…。
まあ、のんびり仕事をして友達とおしゃべりして笑っている未来がいいなと思ってはいます。

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