おやっさんのトリプルLIFE

ひとり親で2児を育てている母が実際の経験をもとに書くブログです。ひとり親の母としてのこと、たくましく生きる子どもたちのこと、ブログをしていて学んだことなどを綴っていきたいと思います。

婚姻時代わが家はこうして「貧乏」になった

モラハラ元夫との婚姻時代。

 

でも、何も初めから極貧生活ではありませんでした。

もちろん、元夫も入籍前までに限っては、若干亭主関白気味・お金に対してだらしないところはありましたが、暴力・暴言といったことまではありませんでした。

もちろん仕事もきちんとしており、元夫自身の収入もそれなりにはありました。

 

しかし、わが家は極貧生活となってしまいました。

 

 

生活費のやりくりができない!?元夫のお金に対してのだらしなさ

元夫は、貯金・貯蓄という言葉はおそらく知らないと思われます。お金はあればあるだけ使います。基本的には、足りなければ借金をすればよいという考えです。

 

元夫は何のためにお金を使うのか?

家族のためであれば、「人のために」という優しい気持ちがある分、まだ救われはしますが、元夫に関しては、自分の嗜好品や趣味など「自分のため」にありったけのお金を使ってしまいます。

 

しかし元夫は、浪費癖がある割にはギャンブルや女遊びは全くしません

自身の嗜好品・趣味のパソコンの周辺機器の購入に費やします。これだけでも、月数万円はかかっていました。

 

現金払いはもちろん、足りなくなると、私名義のクレジットカードでの買い物もバンバンおこないます。(本当はクレジットカードの使用は本人のみですが、当時のチェックが甘かったせいもあって、女性名義のカードでも男性が平気で使用できていました💦)

 

意外と交際費はそんなにかかっていない

例えば、職場の部下に「ご飯をごちそう」してあげたりとかが、頻繁にあることなのかといえばそうでもありませんでした。もちろん全くないわけでもないのですが、それも年数回程度のことです。このことによって生活に影響していたとは思えません。

 

それどころか、部下であっても年下であっても女性であっても平気で、

「俺、今お金ないからおごって!!!」

と言えてしまう人でした。(私も婚姻前何度も言われていました。)

 

婚姻してからの生活費

婚姻してから子どもが生まれるまでは、私も社員として働いていました。

 

元夫よりは給料も少なかったものの、夫婦での収入を合わせると、裕福ではないけれど、生活するうえでは困ることのない程度の収入だったのです。

 

元夫の提案でお互いが支払う生活費を分担していた

元夫の一存で、わが家ではお互いが支払うべきものが決まっていました。

しかし、お互いの収入から負担する割合は、公平感に欠けるものでした。

 

元夫の収入から支払うもの

家賃・水、光熱費・駐車場代など、毎月決まった金額のものの支払いでした。

およそ80000円ほどでした。この金額は元夫の給料(当時)の3割にも満たない額です。

 

私の収入から支払うもの

食費・携帯代(2台分)・保険料・医療費・被服費・クレジットカードの支払いなど、金額に変動のあるものの支払いをしていました。このほか出かけた時には、そこでかかった金額も支払っていました。

月およそ80000円~+α です。

この金額は私の給料の半分以上の金額でした。

 

お金にだらしない元夫は金欠気味のことが多い

そもそも、この分担自体に不公平感はありますが、元夫はさらに月半ばになると、

「20000円貸して」

「30000円貸して」

と、万単位でお金を要求してきたのです。

給料でもらったはずの残り20万以上はどこに行ったのでしょう…。(もちろん貯金もされてはいません)

 

私の給料は元夫に無心されていき、私自身も貯金ができませんでした。それどころか、元夫が私のクレジットカードで支払ったものの分の借金は増える一方でした。(その支払いも私)

 

長女を妊娠・出産 何とか捻出できた出産費用

貯金がないということは、いざという時に困ってしまいます。

ですが、ありがたいことに出産費用は出産育児一時金で賄うことができました。

 

出産育児一時金とは

健康保険法等に基づく保険給付として健康保険や国民健康保険などの被保険者またはその被扶養者が出産したとき、出産に要する経済的負担を軽減するために、一定の金額が支給される制度です。

 

我が家の場合は、直接支払制度を利用したので、この一時金が直接医療機関に支払われ、差額の清算のみを行う形となりました。(当時、我が家では2万弱の返金になりました)

 

長女の出産後 私が育児休暇に入る

この頃はまだ元夫が働いていたので、私自身は育児休業制度を使わせてもらいました。

当時は、元夫の収入と私の育児休業給付金で生活することはできていました。

 

育児休暇期間ですので、私は基本的に自宅にいたのですが、元夫にとってはそれが「 面白くない」と感じていたようです。

 

この頃から、

  • お前は一日家にいて楽してる
  • 一日ダラダラ過ごしている
  • 一日家にいて何しているんだか…
  • 不必要なお金は渡さない(散々私から無心しておいてこういうことを平気で言う 笑)
  • 俺は仕事で疲れている

など、「私が家にいること」に関してネチネチと嫌味を言ってくるようになりました。

 

私 育児休暇を経て 職場に復帰する

私自身、出産前まで社員で働いていましたが、保育園のお迎えなど時間的に早番・遅番ができないことから、時間の融通が利くパートとして復帰することになりました。

 

私がパートとなった分、収入は減るものの、夫婦2人で働いていたため生活に困ることはありませんでした。しかし、元夫は家事を全くしない人でしたので、私がパートをしながら家事育児をこなしていました。

 

家事育児をしながら「パートとして働いていること」すら気に入らない元夫

この頃、元夫はパートで働いている私をけなしてくるようになっていました。

  • 楽な仕事のくせに
  • たいして働いてないくせに
  • 誰でもできる仕事
  • そんなの仕事のうちに入らねーよ
  • ぼーっとできていいな
  • もっと稼げてから文句を言え
  • ま、お前が俺より稼げるようになることはないんだろうけどな
  • お前の代わりはいくらでもいる

こんなことを日常的に言うようになりました。

後に私は、無職になる元夫より稼ぐようになるのですが…。

 

元夫ついに相談もなしに仕事を辞めてくる

私が仕事を復帰してから約10か月、元夫は仕事を辞めました。

 

さんざん私の仕事と収入を馬鹿にしていた元夫は、この時無職になったのです。

理由は事実上の解雇です。

 

正社員でも解雇になるの?

元夫は正社員でした。通常では簡単にやめさせられる立場ではありません。もちろん、会社側もそのことはわかっています。ですので、元夫に今後の選択肢を提示していました。

  1. 隣県の本社まで通う(片道2時間ほど)
  2. 隣県に引っ越して本社勤務(引っ越し費用一部負担)
  3. 1・2のどちらも嫌な場合には退職

本来であれば、家族に相談する案件ではあるのですが、元夫は迷うことなく「3」を選んで私には事後報告してきました。

 

元夫 失業給付をもらい 求職中となる

一応は会社都合での退職になるので、退職後すぐの給付となりました。

元夫にとっては、念願の「休暇」となりました。私が育児休業の時にさんざん嫌味を言った本人が、その立場となったのです。(家事育児は何もしていませんが…)

 

元夫の収入は、これまでもらっていた額よりかなり下がった金額になりました。ですが、私のパート収入を足すことで親子3人で質素に生活するのであれば困ることのない金額でした。(母子家庭となった現在の収入よりも多いです。)

 

ところが元々金遣いの荒い元夫は、パソコン関係こそある程度は我慢するも、在宅時間が長くなったこともあって、嗜好品を購入することが増えました。

 

1日中家にいるので、飲酒量なども次第に増えていました。

 

モラハラも絶好調の時期でしたので、私には意見を言う権利はありませんでした。良かれと思ってしている再就職の話も「うるさい!!」の一言で片づけられました。

 

失業給付の延長が認められた

もう、失業給付期間も終わってしまう…この先どうしようと思っていたころ、元夫から「失業給付が延長される」ことを聞きました。そして、職安には頻繁に行かなくてはならなくて大変だとも聞かされました。

 

失業給付の延長とは?

この時代、個別延長給付という制度が存在していました。

45歳未満であり、会社都合の離職かつ、求職活動を積極的に行っていることが条件だったようです。

 

上記条件に満たない場合には、

  • 就職困難地域に居住していること
  • 職業安定所の所長が必要と認めた者
という条件もあったようですが、元夫は条件を満たしていたため、60日の延長が認められたのです。 
 

失業給付延長もむなしく再就職することなく給付期間終了

表向きは、定期的に職安に通うことで、求職活動を積極的に行っているそぶりをしていました。でも元夫は実際には求人票を出すだけであって、何一つ面接はしていなかったのです。そんな状態にもかかわらず給付金をもらい続け、挙句に就職することもなく給付期間が終わってしまいました。

 

この段階でいよいよ元夫は無収入になりました。

 

しかし、元夫は焦ることもなく、求職活動をすることも無く、ニートな生活にどっぷり漬かっていたのです。(主夫でもありませんでした)

 

社会福祉協議会の貸付金まで借りる

いよいよ収入がなくなった元夫は、社会福祉事務所に行きました。

生活福祉資金の貸し付けの相談でした。低所得者世帯、障碍者世帯、高齢者世帯が受けられる貸付制度です。

貸付なので、連帯保証人が必要ですが、無しでも年利1.5%で貸し付けてもらえます。

 

結局、これを元夫の名義で 月約15万×12か月 借りたのです。

 

再就職する気のない元夫

もうここまで来たらただの怠け者です。社協からの借金までしておきながら、まだまだ就職する気配もないです。この頃は、私のクレジットカードでの買い物も当たり前になっており、支払いも月とんでもない額になっていました。ですが、元夫の実家の金銭的な助けもあって、何とか生活していました。

 

この頃の元夫はかなり暴力的でした。

  • 俺の実家をあてにしやがって
  • 俺の実家の金をどんだけ使わせれば気が済むんだ!お前の実家にも頭を下げろ
  • 金は沸いて出てくるものではない
  • なんでそんなに金遣いが激しいんだ

など、まるで自己紹介のようなことを私に向けて毎日のように言っていたのです。

 

身体的な暴力も日常的にあり、私は夫の怒りを受け止めるサンドバッグ状態でした。

 

奇跡の再就職からの…

ここまでの間に短期間のバイトや就職はなかったわけではありません。ですが、いずれも2か月未満(最短1日)であったため、私の中では就職とは呼べませんでした。

 

ところがそんな元夫もついに再就職を果たしました。

 

給食を作る仕事でした。

給料は高くはありませんが、贅沢しなければ貯金はできなくても日々の生活はできます。ひとまず生活は安定します。早番や遅番もある仕事だったため、私も最大限の協力をしました。

 

しかしこの仕事の軌道に乗ったころ、第2子となる息子を妊娠しました。

 

さんざんダラダラしていた元夫も改心したのか、真面目に仕事に行っていたので、私の妊娠には不安はあるものの、喜ばしいものでもありました。

 

そして元夫が在職中に、無事出産をすることができ、私は2度目の育児休暇に入りました…。

 

またまた相談もなく元夫が仕事を辞めてくる

何の相談もありませんでした。息子がまだ首も座らない頃に、元夫は仕事を辞めてきたのです。しかもしばらくは「長期の休みが取れた」と嘘をつかれていました。 

 

またまた元夫は無収入になりました。しかも今回は、私も育児休暇中…。世帯収入が月に一桁万円に激減してしまったのです。

 

元夫2度目の退職は失業給付がもらえない

元夫は失業給付受給生活に味を占めたのか、この時も失業給付を受けようと思っていたようです。ですが、この時は2年未満で仕事を辞めてしまったため、失業給付はもらえません。

社協からもこれ以上借りることはできません。いよいよどうすることもできなくなったので、元夫はさらなる暴力に走ります。毎日理不尽なことを言われ続け、ちょっとしたことで怒り狂った元夫の攻撃を受けることになっていたのです。

 

本格的に離婚も考え始めていました。

 

元夫無収入期間の生活

元夫の実家に家賃と、娘の保育料滞納分を支払ってもらいました。家賃に関してはその後もしばらく支払ってもらいました。

 

それ以外にも、水光熱費は督促状の山であり、止められる寸前の状態。水道局の人が安否確認のために何度か我が家に来たほどでした。本当はここでDV・モラハラ被害にあっている私にも気づいてもらいたかったのですが、そうはうまく事は運びません。

 

お米を買うお金も無くなってしまったので、安い小麦粉を購入して練って生活をしたこともありました。小麦粉があれば、パン、お好み焼き、水団などお腹にたまるものを作ることができるため、何とか食つなぐことができました。

 

そんな生活の中でも元夫は、嗜好品を買うことを辞めることはしないどころか、嘘をついてでも買ってくるようになってしまったのです。生活費はおろか、食費すら捻出ができないほど、お金のない家庭になってしましました。

 

その後

その後、元夫は働くことはありませんでした。かといって、家事育児をおこなうわけでもなく、ただただ布団の上でゴロゴロしているだけの生活でした。

 

でも、口が達者なのと、働いていない分体力が有り余っているのとで、私に対する身体的・肉体的暴力をする元気は充分に持ち合わせていました

 

元夫は特に「説教」が好きなため、少しでも気に障ることがあれば、真夜中に数時間にわたる私への「説教タイム」が執り行われます。

この時は延々と同じことを言い続け、「聞いてるのか?」「ごめんなさいは?」「何に対して怒られているのかわかってるか?」など、執拗な謝罪と反省の弁を求めてきます。

 

元夫は、日中寝ているだけの生活ですのでどうってことはありませんが、私は仕事に家事・育児とこなし、心身ともに疲れているところに追い打ちをかけるかのように、睡眠時間を割いて説教を聞かされていました

 

さすがにこの頃になると私自身、「生きていることへの疑問」も考えることもあり、「早くこの生活を終わらせたい」と思うようになっていました

 

結果的には「離婚する」という解決法で、この生活を終わらせることに決めましたが、一歩間違っていれば…別のENDもあったかもしれません。

 

さいごに

元夫と結婚してしまったのは、私の落ち度でもありますが、DV・モラハラ加害者というのは、『本性』を見せるのはごく限られた人のみですので、本性が見えないうちは、「普通」もしくは「良い人」に見えます。

 

本性を見るきっかけになるのは、

  • 同棲
  • 遠方への引っ越し
  • 婚姻

など、被害者が簡単ににげだすことのできない状況になった後ですので、質が悪いです。

 

身体的・肉体的な暴力もつらかったのですが、元夫が無収入であるがために生活が成り立たないことの恐怖も大きく、「このままでは一家で総倒れだ」と感じていました。

私の場合は、「子どもは守らないと」という気持ちだけで、離婚まで頑張れました。

もう二度と「あんな貧しい生活はしたくない」という気持ちで今を生きています。