買い物ひとつで貧しさを感じた「極貧婚姻時代」自動車も自転車も持つことができなかったわが家はどのように生活をしていたのだろうか?

今はひとり親家庭の母として、2人の子どもを育てている私ですが、かつては「婚姻時代」もありました。

「ひとり親家庭」と「両親がそろっている家庭」と比べると、ひとり親家庭の方が「生活が苦しそう」というイメージが強いのですが、わが家の場合は全く逆のパターンでした。実のところ、今現在の方がはるかに生活が楽なのです。

その理由としましては、元夫が「仕事が続かない・仕事をやめると再就職までの期間が長くなり、結果無職であることの方が長くなる」ということからでした。

婚姻当時の家計の苦しさは、日常生活の中からも感じることもあります。

今回は、日常生活の中でも、「買い物」に関して、婚姻時代に感じた貧しさについて書いてみたいと思います。

極貧時代の生活圏はこんな感じだった

まず初めに、私の「婚姻極貧時代」の生活圏の話を。

当時、私たち家族はとある中核市主要駅すぐ近くのいわゆる「駅近物件」で生活していました。駅近と聞くと、「好立地」「家賃高そう」「便利そう」というイメージがありますが、必ずしもそうとは限らず、

  • 新幹線・JR・私鉄・バスなど多くの交通機関があり、「遠出をするには」決して不便ではない一方、通常の生活圏での移動を考えるとどれも使い勝手が悪く、日常生活での移動は、「徒歩」「自転車」「自家用車」のいずれかとなってしまう。
  • 駅が近いからと言って必ずしも「良物件」がそろっているというわけでもなく、わが家が借りていた賃貸は「築50年越え、2DK、ベランダ無し、階段のみの5階建て、管理不十分のため水トラブルが多い物件」でした。家賃こそは、駅前にしては安く、およそ4万円程度。

と、どちらかと言えば、普段の生活を営む上では「暮らしにくい」物件でした。

また、駅と併設されている商業施設には、八百屋や魚屋を始め、洋品店や雑貨屋、薬局など生活に必要なものは一通り販売されているものの、食べ物に関しては百貨店並みの金額での販売であったため、普段使いで野菜や魚を購入することには抵抗がありました。(でも、肉屋は安かったです)

しかし、徒歩で行くことのできる範囲に「スーパー」はなく、近所の古い商店街の老舗の八百屋さんが唯一安い野菜を販売しているお店でした。

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日常の買い物の交通手段

先にも少し書きましたが、交通の便が良さそうでそれほど良くない立地ですので、普段の食材などの買い出しは、

  • 徒歩
  • 自転車
  • 自家用車

のいずれかとなります。

元々は、独身時代に買った私名義の自動車を所有していたのですが、元夫の無職期間が長引くにつれ、維持費捻出が難しくなり自動車を手放してしまいました。

ですので、婚姻時代の途中からは自動車はない状態でした。

では、自転車は?というと、こちらも「購入するお金が捻出できない」ということもありましが、そもそも「自転車置き場がない」ことで「買うことができても、保管場所が無いため購入ができない」のでした。

ということで、わが家は基本的に「徒歩で買い物をしなければならない」状態だったのです。

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極貧婚姻時代 普段の食材の買い出し

自動車があれば、郊外のスーパーまで10分もあれば行くことができたでしょう。

しかし、徒歩圏内には「スーパー」は無く、安い八百屋さんと徒歩10分くらいのところにある、ローソンストア100・駅施設内の肉屋さんのはしごが基本でした。

しかし、この3店舗もトライアングル状に離れているため、1回の買い物ですべてを回ることはかなり厳しいものでした。結果的には日に分けての買い物にしていたのですが、せめて自転車があれば、楽に移動できたように感じます。

また、買い物に行くときは「子どもと一緒」のことが多く、特に当時0歳児だった息子は元夫が面倒を見ることができなかったので、買い物の際には必ず私が連れ出さなければなりませんでした。(元夫は「自称イクメン」でしたが、息子の世話はほぼしませんでした)ですので、息子を抱っこ紐で抱っこし、買い物袋を持って歩くことも考慮する必要がありました。

米が買えない時期もあった

今でこそ、「米さえあれば食事は何とかなる」と思えるようになりましたが、極貧婚姻時代は、その米すら買えないこともありました。

お米は5㎏のものでも2000円弱はします。その2000円を一気に支払うことさえも困難だったころもありました。ですので、1袋100円の小麦粉を練って主食にしていた頃もありました。

かつて超がつくほどの貧乏生活をしていた婚姻時代

貴重なお米は、かさ増しして雑炊で食べることも多く、きちんとした白米を食べることができない日々もありました。(一体いつの時代の話でしょうか…と思われますね。)

そんなことがあったので、元夫と離婚してからも私は「お米管理」が厳しく、「絶対絶やしてはならない食材」として扱っています💦

必要に応じてバスで買い出しに行くことも

食材や、日用品などは徒歩圏内で購入することは出来ましたが、「子ども服」に関しては徒歩圏内にはブランド物や高級店しかなく、とてもではないが米を買うお金の捻出にも苦労していた我が家では手の届かない金額でした。

しかし、バスに乗れば量販店に行くこともできましたので、運賃を考えてもバスで買い出しに行った方が経済的でした。

とはいえ、成長に合わせて購入するはずの子ども服も頻回に買ってあげることもできず、丈が足りなくなってもだましだましに着させていましたし、穴が開いても補修して着させていました。時には、知り合いからのお下がりもいただくことができましたので、これはとてもありがたかったです。

家電量販店は徒歩圏内には無かったが…

今の時代、生活していくうえで毎日使用するものに「家電」があります。

  • テレビ
  • 冷蔵庫
  • 洗濯機
  • 電子レンジ

などなど…多くの家電を使用して生活をしています。

わが家は極貧ではあったものの、お互いの独身時代に使用していた家電がありましたので、テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機・オーブンレンジに関しては、お互いの持ち寄りで2つずつ存在していました。(狭い間取りでしたので、置き場所はかなり工夫をしましたが)

婚姻生活中、洗濯機とエアコンが故障してしまいましたが、もう一台の洗濯機とエアコン(窓枠式ですが)を使用することができましたので、新たに購入することもありませんでした。

その他の家電に関しては、故障することも無く使用できていたので、結果的に家電量販店のお世話になることはありませんでしたが、万一生活家電が壊れてしまったら、当時どうするつもりだったか今となってはわかりません。

量販店が近場に無くとも、ネット注文で配達込みで購入することも可能ですが、極貧時代には「クレジットカードを使う余裕」なんてありませんし、そもそもキャッシュすらないのです。(カードすら作ることができませんし、あっても元夫に食い物にされてしまいます)

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さいごに

長女が小学校に入学する前に元夫とは別居→離婚をしたため、

  • (無駄遣いをする)大人(元夫)一人養う必要がなくなった
  • 母子家庭となり「自身の稼ぎ+手当」がいただけるようになり、結果的には収入が増えた

こともあり、経済的には「極貧生活」ではなくなりました。

別居後はすぐに、子どもと一緒に乗ることのできる自転車の購入をし、行動範囲を広げ、生活をしやすく改善しました。その為、金銭的にも、物理的にも小学校以降にかかる学用品なども含めた、必要な品の購入には困ることはありませんでした。

別居から5年ほどは、自転車生活をしていました。

買い物も、通院も、保育園の送迎も…何でもかんでも自転車に頼って生活していました。「徒歩」でしかできなかった極貧時代と比べれば、「大したことない」と思っていましたが、子どもが自転車に乗せることができなくなるくらい大きくなると、また不便さを感じました。

  • 子どもが病気の時、どのようにして病院まで連れて行こう?
  • 中学校以降の部活動などの送迎は?

など、新たな問題も生まれました。

わが家は、「親族からの手助けが全くない家庭」ですので、悩んだ末に「自動車の購入」を決めました。もちろん維持費の問題もありますが、2つの問題の解決にもなりますし、年々老いていく私の体力温存という観点からも、「必要である」と判断したのです。

婚姻時代に一度は手放した自動車を、8年越しに購入することになったのです。

現在は、通勤・買い物・子どもたちの送迎・通院などフル活用しています。あの頃(極貧時代)から思うと、考えられないくらいの「贅沢」です。そして時々、今の生活ができていることに感謝しているのです。

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