裕福でなくても「人並みの生活」にあこがれていた婚姻時代

ひとり親家庭

婚姻時代、一番どん底の生活を送っていた時は「私のフルタイムのパート代約9万+児童手当」で夫婦と子ども2人の一家4人の生活をしていたころです。

当時は本当にお金がなく、毎日がその日暮らしのような日々であり、よその家庭を羨んでいたころもありました。

今回は、そんな極貧時代の生活を書いてみました。

元夫と暮らし始めた住居

モラハラ元夫との生活の始まりとなった住居。まず生活のスタートを切る住居から「人並み」とは言い難いものだったのです。

  • 築年数不明だが和式トイレであったことから、おそらく築50年は越えている
  • エレベーターなしの5階建ての4階
  • 間取りは6畳2間の2(D)K(Dが狭く、ダイニングと呼べるかは怪しい)
  • 主要駅の駅近物件ではあったが、駐輪場・駐車場は無し
  • ベランダ無し
  • 洗濯機置き場無し
  • 先にも触れましたが、和式トイレ
  • 駅近ではあったが、近隣にスーパーなどはないため、日用品の買い出しは駅中(でも物価がかなり高い)
  • 雨漏り、階下への水漏れは日常(消火栓が暴発したこともあり)

古い物件だったため、家賃が安いこと以外は「新婚生活」を送るにはちょっとわびしいと感じる住居でした。(因みにこれは平成中期ごろの話です)

市内では、郊外に行けば同じくらいの家賃でもっと新しく広い物件も多く存在していました。新婚当時は私所有の自動車もありましたので、郊外での生活でも不自由することは無かったのですが、元夫の「交通の利便性重視」の考えを覆すこともできず、結果的にこの住居で短い婚姻生活のすべてを送ることとなりました。

ベランダがないため洗濯物も部屋干し

一応1畳ほどのサンルームのようなところはあり、そこに洗濯物を干す造りにはなっていたものの、窓には窓枠にはめ込むタイプのエアコンが取り付けられていたため、窓もほんの少ししか開けることができず、結果的に部屋干しと何らかわりない状態となっていました。

もちろん布団やシーツなどを干す場所もないため、室内に洗濯ロープを張って大きな洗濯物を干したり、無理やりわずかに開いている窓から布団を干したりして過ごしていました。

日当たりが微妙

ベランダがないうえに、サンルームに日光をさえぎられる形での構造だったことから、日中でも電気をつけないと生活できないくらいでした。

駐輪場なし・駐車場無し

駅前という立地だったため、放置自転車には厳しい地区でした。駐輪場が設けられていれば問題ないものの、駐輪場がないため、階段下に自転車を置く…という方法しかありませんでした。しかし階段下は、「放置自転車」として撤去されてしまうので、結局安心して自転車を置いておく場所というのはありませんでした。

また、駐車場もありませんでしたが、近隣の月極駐車場はありましたので、各自契約して自動車を止めることになっていました。…が、駅前ということで駐車場代が高い

わが家で契約していた駐車場代は、「家賃の半分の金額」がかかっていました。

近くにスーパーがない

自動車があった頃は郊外まで買い出しに行くことができていましたのでそれほど気にはなりませんでしたが、元夫が無職になって自動車を手放してからは、駅中にある物価の高い高級志向の店で買い物をせざるを得なくなりました。

また、10分ほど歩いたところに100円ショップもありましたので、調味料やちょっとした食品はこちらで買ったりと工夫はしていました。

それでも満足いく買い物はすることができず、限りある食材で日々の生活を送っていたのです。

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夫が失業→その後無職生活にどっぷり浸る

景気が悪い時代、突然の失業は誰しも可能性があるものです。でも、一家の大黒柱が失業したとき、パートナーは家計を支えながらも一刻も早い再就職を応援をすることと思います。私も例外ではありませんでした。

しかし、元夫はそんな私の思いを踏みにじり、「人並みの生活」からどんどん遠ざかっていくような行動をとったのです。

元夫が無職になり「失業手当」と私の収入で暮らす

同棲・結婚から数年がたち、この頃には長女も1歳。育児休業を終えた私も復職して家事育児と仕事に追われていたころ、元夫が無職になりました。

「事業所閉鎖」という体での退職でしたが、実際のところ職場との折り合いが悪くなったというのもあるようでした。

一応「解雇」という形でしたので失業給付はすぐにいただけることになりましたし、元夫の年齢のこともあり半年ほどはいただけることになったのです。

「半年あれば何かしら職も見つかる」

と思っていたのもつかの間、元夫は一日中ネットサーフィンをしていたり、ゲームをしていたりで一向に職探しをしようとはしません。それでも月に2回くらいは「職業安定所」には行かなくてはならず、その時にしっかり探すのかもと思っていました。

しかし、ダラダラ過ごしている人が突然まじめに職探しをするわけもなく、失業給付が終わるまでまじめに職探しをしたことはありませんでした。元夫の言い分は、

「坊主(若者)がやるような仕事はできない」
「俺くらいの人材ははじめから幹部でないと割に合わない」
「これまで取り給料が安くなっちゃうと生活できないしな」

など、どれも「一からがんばろう」という気持ちが感じられないものばかりでした。

それでも、失業給付があるうちは、節約生活をすることで家計も何とかなっていたのですが、失業給付が切れると一気に家系は火の車と化しました。

元夫 無職一時派遣、後に契約社員になるも

元夫が無職になってからおよそ3年。途中一時的な派遣の仕事をしていたりもしましたが、とある職場で契約社員として働くことが決まりました。

とは言っても、もともと転職癖のある元夫。いつ勝手に仕事を辞めてくるかわからないため、安心はできませんでした。

そしてついに、私の第2子出産を機に、また相談もなしに「仕事を辞めてきた」元夫。せっかくの契約社員の職場も約1年という期間で辞めたのでした。
モラハラ元夫は勝手に仕事を辞めるが職探しは難航する

その後、元夫は2度と働くことはありませんでした。もちろん家計は火の車。人並みの生活にはとても手が届かないどころか、生活保護世帯以下の暮らしをすることになったのです。(生活保護申請は「夫が働けばよい」ということで却下されました)

私は2度目の育児休業を繰り上げて終え、再びフルタイムで働き始めましたが、『いつまで頑張っても「人並みの生活」を送ることができない…』この時にはすでに元夫を見限っていたのです。

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常に金欠「督促状の山」から解放されたい

婚姻時代、わが家では元夫が金銭管理をしたがったため、家賃・光熱費などの生活するうえでは必ず必要となる費用の管理を(不安ではありましたが)任せていました。

結果的にライフラインが止まることも無く、大家さんから「退去勧告」が出ることもありませんでしたが、

  • ライフラインは全て2か月滞納状態で督促状の山、停止予告も毎月送られてきている状態
  • 家賃は半年滞納しており、大家さんの好意だけで住まわせてもらえている状態

が婚姻期間中ずっと続いており、ライフラインはいつ止められてしまうかわからない不安で生活をつづけ、家賃を滞納していることで常に大家さんと顔を合わせづらい状態での生活を強いられていました。

次第に私は堂々と外を歩くことすらできなくなり、帽子を深くかぶったり足早に移動したりすることが増えました。

保育園の行事にも積極的ではない

わが家は長女の入園時こそは「夫婦ともに勤務している」ということで保育園の利用をしていましたが、元夫が無職になってしまってからは「夫は求職中」ということで保育園を継続利用させてもらっていました。

保育園児の保護者の多くはどの家庭でも「夫婦で協力して育児をおこなっている」印象ですが、わが家は決してそうではありませんでした。

  • 元夫が参観会に参加することは無い
  • 運動会でも親子競技に参加しない(私が下の子を妊娠中でも)
  • 送り迎えも気が向いたときにしか行かない(無職でも)
  • 園の夏祭りも不参加
  • 保護者会も興味がないし、もちろん「やらない」しか選択肢がない

運動会に関しては、一応「見には行く」ものの、やれ暑いだの、会が長いだの、トイレが遠いだの文句が多く、一緒に行っても私が楽しめなかったこともありました。

ある年の娘の運動会は、元夫も会場にいましたが何もしないため、結局私が息子を背負って娘のカメラ撮影をしたこともありました。

息子を妊娠していた年は、私自身が親子競技に参加できず、元夫に参加を頼んだのですが答えは「ノー」。結局保育士さんに伴走してもらうという事態にまでなりました。全園児の中で娘だけが「親子」で走ることができなくてかわいそうな出来事だったのです。元夫は娘より自分が大事だったのですね…。

そんな非協力的な夫でしたので私は「普通の夫婦」にあこがれていました。

「理想の夫婦」でなくても良かったです。「人並みに普通の夫婦」です。

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さいごに

元夫と離婚してひとり親となった今、「人並みの生活」というほどの収入はありませんが、友人を招いても恥ずかしくない程度の住居で暮らすこともできていますし、支払うべきものは滞りなく支払ってもいます。もちろん子どもたちの行事や進路問題にも真剣に向き合っていますし、日々の暮らしには困らない程度に生活は出来ています。もちろん、日のあたる場所で堂々と歩くこともできます(笑)

また、離婚後にできた友人と今でも交流があるため、私自身も精神的に安定しているのではないかなと思っています。友人って大事です(^-^)

元夫との生活では考えられなかった暮らしが送れていることにまず感謝しています。

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