両親の離婚・同居生活・再婚を経て子どもだった私は実家に居場所がなくなった

モラハラ離婚

私は、幼少期から人とはちょっと違った環境で生きていました。

小学校低学年くらいまでは、私をかわいがってくれていた祖母もまだ元気であり一緒に生活もしていました。この頃はまだ自宅内での私の居場所も確保されており、心休まる時間もそれなりにはあったのですが…。

私の幼児期は母親不在

私自身、物心がついたときは実の母親はすでにいませんでした。死別ではなく、父親と離婚をしてしまったためのものでした。

祖母が母親代わり

私ももうアラフォーですので、子どもの頃の記憶もだいぶ薄らいできていますが、自身の母親の記憶は何一つありません。祖母に写真を見せてもらうまでは顔すら知りませんでした。写真こそ見せてもらったのですが、母親についての情報は父親からも祖母からも何も聞くことはありませんでした。

ですので、どういった経緯で両親が離婚してしまったのかはいまだにわかりません。母親の人物像すら知りません。2人とも話さないということは、私にはあまり教えたくない何かがあったのかもしれません。ですので、私からもあえて母親については聞くことはしませんでした。

私が保育園の幼児クラスになる頃には、後に継母となる女性が自宅に出入りするようになっていました。

この頃、私の育児をしてくれていたのは主に祖母であり、私は祖母の愛情を一身に受けて成長していました。祖母は私が唯一わがままを言える相手でもありました。

ところがこの後私を取り巻く環境が一変したのです。

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後の継母の同居が決まる

結果的に、父とこの女性は結婚をしたので、順序から言うのであればごく自然な流れだったのかもしれません。

しかし、当時まだ保育園児であった幼い私には「なぜ知らない人と一緒に暮らすのか?」としか思えず、子どもながらに父と女性に気を使いながら生活することになったのです。
(きっと、私に対してきちんと話がされていなかったことに原因があるような気がします。)

  • 2人の邪魔をしてはいけない気がして「遊びに連れてって」とも言いずらい
  • 自宅内では「静かにしていないといけない」気がしていた
  • 欲しいものも「買って」とは言えない
  • 必要なものでさえも遠慮してしまう(わがままと思われたくない)

子どもらしくない子どものようですが、子どもの未成熟な脳で考えた結果、私は『嫌われないようにふるまうこと』にしたのだと思います。

ですが、私は祖母には相変わらずわがままを言っていました。

それは祖母が私のわがままくらいで私を見捨てる人ではないとわかっていたからです。完全に私の心のよりどころでした。

母親(継母)ができる

一般的な家庭であれば、「子どもができた」というところでしょうが、わが家では「母親ができた」のでした。

祖母・父親・子ども(私)の家庭に「母親」が後から誕生したのです。

同居期間の間にも全く交流(?)がなかったわけではありません。継母には一緒に遊んでもらったりもしていました。(いや、遊んでもらっているふりをしていました。)

継母は以前の記事にも書きましたがモラハラ気質がありますので、保育園児相手でもゲーム等で手抜きすることはなく、私はほぼ負けていました。

まれに継母が負けてくれることもありましたが、「わざと負けてやったから~。」と平気な顔で言う人でしたので、幼心に継母と遊ぶことをつまらなく思っていたのです。
【毒親かモラハラか】実家の継母もまたモラハラ気質満載

そんな感じでしたので、継母に対しては心から慕える存在ではありませんでした。

一応それまでは居候という自覚があったであろう継母は、働きに行って寝るために帰ってくるくらいの存在だったのですが、結婚したことで継母は自宅内で自由にふるまうようになり、祖母から主婦の座を奪うような形で生活を始めました。

元々温厚だったため、何も言い返すことのできない祖母は、私同様に自宅内での自分の居場所がわからなくなったのです。

祖母の入院→施設入所

両親の結婚からほどなくして祖母が腰を痛めてしまいました。

私は祖母が60歳の時の初孫でしたので、この時すでに70近い年齢でした。決して若くない年齢でもあったため、祖母は無理をしないためにも入院をすることになってしまいました。

その後、自宅から離れたことによる安心感からなのか間もなく認知症の症状が出てしまい、急加速で悪化してしまったため、両親は祖母を施設に入所させることに決めたのでした。

その後、祖母は亡くなるまで自宅に帰ってくることはありませんでした…。

祖母の入院をきっかけに私は自宅内での居場所がほぼ無くなることになったのです。

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兄弟誕生

これも自然な流れではあるのですが、私に弟ができました。

自身の子が生まれても継母は、父と二人で遊び(デート)に行くことが多く、私に弟の子守を頼んで(押し付けて?)くることが頻回でした。でも、弟は純粋にかわいくて、私は弟と遊べることが嬉しくて子守自体は好きでした。

小学生にして乳児にミルクをあげることができ、おむつ交換もちゃんとしていました。

泣けば抱っこしてあやし、眠るまでそばにいてあげることも苦ではありませんでした。弟が心のよりどころ…でもありました。

それでも両親にわがままを言うことすらできない小学生生活でした。

中学に入ると継母のモラハラ全開

私が中学生になると、継母のモラハラがひどくなりました。

  • 毎朝私の登校時間を狙って愚痴を言ってくる。時間がないので登校しようとすると「逃げるのか」「人の話も聞かないでいい度胸だな」など、脅しともとれることを言う。→結果、私の遅刻が増える
  • 校則での決まりもあるため、髪の毛を縛ったら「色気づきやがって」と言われる。
  • どんなに頑張っても、「パッとしない成績だな」と言われる(実際にパっとはしなかったかもしれないが、各教科の頑張りを見てほしかった…。)
  • 「中学卒業したら働けばいい。高校なんて行かなくてもいい。」と、私の進路希望を聞こうともしないし、親としてのアドバイスはもちろんなし。
  • 「一緒にご飯を食べたくないから(家族団らんの)邪魔しないで。」と言われ、食事の準備がされない。→私は家族とは思われていない
  • 私が継母の視界に入るだけで明らかに嫌そうな顔をするか、にらみつけてくる。
  • 継母からの暴力もあり、顔にあざができ、学校の先生に心配されたこともある。
  • 私の髪の毛が長いことが気に食わず、髪の毛をはさみで切られたこともあり。
  • 説教(些細なこと)が異常に長く、私は二度意識を失ったことがある。(私は数時間立ちっぱなしで説教を受けていた)

などなど、書き出すとたくさん出てくるモラハラの数々…。話を大きく書いていません。実際にあったことばかりです。

自宅にいると常に継母からのモラハラに悩まされるので、次第に自宅に帰ることが苦痛になってしまいました。(それでも中学生でしたので帰らざるをえませんでしたし、頼りにできる人がいなかったので家出等もできませんでした。)

今なら児童相談所介入案件ですね…。

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自宅にいてもホッとできる空間がないことは心身の健康に悪い

本来であれば「自宅」とは心休まる空間であるべきです。

これは大人も子どもも平等にです。

仕事、学校などで疲れて帰ってきて「ホッ」とできる場所であるべきです。

自宅でもホッとできないとなると、常に変な緊張感で思考も正常ではなくなります。実際に私もネガティブなことしか考えられない時期がありました。

  • 自分は今ここにいる意味
  • 自分の将来これからの人生

全てが悪い方向に考えてばかりでした。

この頃、もしかしたら「うつ病」だったのかもしれませんが、病院に行っていないですし、診断されたわけでもありませんので今となっては、もうわからずじまいです。

そして身体も休まることがありませんでした。

夜中にたたき起こされることもありましたので常に寝不足でしたし、休日も家中の掃除を命じられていたのでゆっくりすることができませんでした。…いや、ゆっくりすることを許されていなかったのです。

次第に休日早朝にこっそり家を抜け出して丸1日近所の公園や図書館、駅前の店などででひとりの時間を過ごすようになりました。(帰宅後に家事を放棄したことを怒られますが💦)

自宅からこっそり抜け出してまでひとりになりたいとさえ思っていた中学時代。普通じゃあ考えられませんよね。当時の精神状態がうかがえます。

自宅にいる時間がほぼない高校時代

昼間働いて夜に学校(定時制高校)へ通うというスタイルを選んだ私。

高校生になっても相変わらず実家での居場所はなかったのですが、自宅にいる時間も夜寝る時くらいでしたので、中学時代と比べるとそれほど苦痛ではありませんでした。

逆にこの頃になると、「寝床を提供してもらっているだけ」と割り切った考えもできるようになり、仕事・学校の時間が長かったこともあって案外継母のことが気にならなくなっていました。そして、学校が休みの日も積極的に仕事を入れていたので丸1日自宅にいる日もほとんどありませんでした。

さいごに

その後、自分のお金を使って20歳で完全に自立をしたのですが、以降実家に行くことはありません…。

いや、実は1度だけ顔を出したことがあったのですが、その時継母が自宅の奥から般若の様な顔で父に気づかれないように私のことをずっと睨んでいたあの顔が忘れられず、以降二度と実家に近づくことはありませんでした。

実家に行くことがなくなって20年近くたちますが、あと何年たっても継母のいる実の家の敷居は跨ぐことはできそうにありません。実家は私にとってはもうよその家庭なのです。

以上が「実家に居場所がなくなった話」でした。

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