かつて超がつくほどの貧乏生活をしていた婚姻時代

モラハラ離婚

今現在独り身の私ですが、かつては婚姻生活を送っていた時代もありました。

婚姻生活そのものは金銭的にゆとりのあるものではなく、一番ひどかった時は私が子ども2人と元夫を養っている期間があったことでした。

女一人の稼ぎで「子ども+大人の男」を養うのは並大抵ではなく、超がつく貧乏生活でした。(ひとり親となった今でも裕福とは程遠い生活ですが…💦)

今回は、かつての超貧乏自慢(笑)をしてみたいと思います。

住居は築50年越えのビル

マンションでもアパートでもありません。ビルです。しかも雑居ビルと言っても良いでしょう。

ビルとは
雑居ビル(ざっきょビル)とは、不特定多数の業種、業態の店(テナント)、住居などが多数混在するビルのことである。

雑居ビル – Wikipedia  より一部引用

ビルの1~2階は夜まで営業している飲食店が多く、3階以上は住居となっていますが、ビルという仕様上なのか

  • 階段は2か所(かなり横に長い割には階段数が少ない)
  • ベランダがない(テラスっぽい箇所はある)
  • 駐輪場はない
  • 駐車場もない
  • エレベーターもない(5階建て)
  • 洗濯機置き場もない

など、暮らしていくうえでは「便利」と呼べる物件ではありませんでした。

しかしながら大きな駅まで徒歩3分と交通の便だけは申し分ない場所である割に、古い建物であったためか家賃が破格の物件でもありました。(因みに新幹線も止まる駅でした)

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自転車も自動車もない生活

結婚後しばらくの間は、独身時代に購入した私名義の自動車を持っていました。しかし、元夫と生活する中で手放さざる負えない状況になってしまったのです。

前の項目でも書いたとおり、駅近の中心市街地で生活していたため、自動車や自転車がない場合、日用品や食料品は駅前の百貨店や駅ビルのテナントから調達しなくてはなりませんでした。(駅周辺にお財布にやさしいスーパーはありませんでした)価格は大手スーパーと比べるとかなり高いです。

わが家は、自動車はおろか駐輪場がないことから自転車の保有もできない状態でしたので、徒歩圏内にある百貨店や駅ビルで購入せざる得なかったのです。

お高い生活必需品を買っていたのですが、決して裕福で…というわけではなく、移動手段がなかったがために徒歩で行けるところでしか買い物をすることができなかった結果なのです。

お米が買えない生活

毎日の食費の捻出すらも厳しくなったこともあります。

お米があればなんとかなりそうなものですが、そのお米すら買うことができなくなった時期もあります。お米を購入するには5㎏でも安くて1500円、10㎏にもなると3000円以上はします。

当時は、1000円超える買い物が気軽にできる状態ではありませんでした。

今月の食費が…今週の食費が…明日の食費が…(´;ω;`)常に生活費の心配ばかりしていました。

そんな中当時、主食として食べていたのは小麦粉でした。
水団、お好み焼き、なんちゃってうどん、手作りパン、ナン…などなど、小麦粉を練ってお米と交代で食事に出す工夫もしていました。

もちろんお米も当時貴重品でしたので、おかゆ、おじや、かさ増しチャーハンなどにし、子ども最優先に食べさせていました。

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子どものおやつも手作り

当時保育園児であった娘。やっぱりおやつを欲しがることもありました。当時の職場からの差し入れやお土産でもらってくるお菓子類は全て娘にあげていました。

しかしそれも毎日はありません。そんな時は簡単に小麦粉でできるおやつを作ってあげていました。

もちろん、遠足のおやつもなかなか買うことができませんでした。
いただきもののお菓子であったり、手作りクッキーやマフィンであったりしたこともあります。もちろん友達との交換も難しいおやつでした。

それでも娘は喜んでくれていたのですが、離婚に向けて別居を始めたあたりで娘の異常な行動にショックを受けることになったのです。

娘の食べ物への執着

女の子はいくつになっても食べるものに興味がある子が多いと思います。おいしいものって幸せな気分になりますよね。娘も例外でなくおいしいものが大好きです。

そして元夫と別居したことによって金銭的に落ち着いたころ、超貧乏時代に市販のお菓子をあまり買ってもらえなかった反動が来たのです。

娘のとった行動は、おやつに買った市販のお菓子、おいしかったお菓子のパッケージをすべて捨てずにしまっていたのです。娘が言うには、「おいしかった思い出」とのことでしたが、これまで我慢をさせてしまっていたことを悔やんだ出来事でした。

あと娘は、自分の食べ物を他の人に分け与えることを極端に嫌がりました。お友達と分け合うことも、弟と分け合うことも…。別居してからしばらくの間は食べ物に異常なまでの執着があったのです。

しかし、これらも時間が解決してくれました。

今でも「食べることが好き」ではありますが、食べた後のゴミも処分できるようになりましたし、異常なまでの食べ物への執着もなくなりました。

子どもの小物は自宅にあるものを駆使して手作り

巾着袋やヘアゴムなど、女の子ならではのかわいいものが欲しくなる時期もありました。しかし、購入することはできませんでした。

でも、自宅にあったフェルトや端切れの布などで何とか作ることができました。(でも私は被服が苦手です。)

特に娘は、髪の毛がボサボサにならないようにまとめたり、園に履いていくズボンに穴が開いてしまったときはハートや花のアップリケを作って当ててあげたりしました。

夏祭りに着る浴衣(貰い物)がサイズアウトしてしまったときには、買い替えることもできず、リメイクで上下セパレートの浴衣にしてさらに2年間着せました💦(これはかなり頑張りました)

野菜も育たない(´;ω;`)

明日食べるものにも困ってたので、せめて家庭菜園でも…と思い、ネギの根っこやニンジンの頭などの水耕栽培にもチャレンジしたことがありました。

しかしながら、ベランダもない住居でしたので、日当たりが良いのは室内の窓際のみであり、その場所にも限りがあります。もちろん室内ですので土を入れるわけにもいかなく、見事に失敗…野菜一つまともに育てることができない環境でした。

転職も難しい

当時ニートだった元夫の再就職も含め、私自身の転職も真剣に考えたこともありました。

しかしながら、条件に合う職場は

  • 早朝、または夜遅くの勤務(交通機関は動いていない時間帯のうえ、自動車でないと勤務できない場所だった)
  • 交通機関で行ける場所であっても、当面の交通費として立て替えるお金がない
  • 時給や勤務日数などの兼ね合いから転職するメリットがない(私の場合)

などの理由から断念せざるを得なかった求人もありました。せめて自転車があればなんとかなりそうな求人も含まれていました…。

病院にも行けない

子どもに関しては「こども医療受給者証」があり、提示することで無料で診療を受けることができました。(自治体によって制度に違いがあります。)

しかし、大人の場合は助成や補助はなく、3割負担での受診となるので、熱が出ようが咳が出ようが、気軽に病院へ行くことはできませんでした。

もちろん薬を買うお金も惜しかったので、「気合」で治すほかありませんでした💦

一番困ったのは、私が元夫から手をあげられケガをした時にお値段の高い診断書をとりに行くことすらできなかったことです。

貧乏だったがために、元夫から痛めつけられていた証拠を文書で残すことができなかったのです。

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さいごに

わが家はかつて「超貧乏生活」をしていました。

離婚を機に世帯収入は上がり、支出は元夫がいなくなったこともあって減りましたので、「低所得者の生活」くらいにまでは立ち直ったと思います(;^_^A少なくてもご飯の心配はしなくても良くなりました

まだまだコロナ禍の生活を強いられ、コロナの影響を大きく受けてこれまでと同じような生活ができなくなった人も少なくないと思います。

かつてのわが家みたいなことにならないように、困ったことがあれば行政を頼るなり、相談できる人を見つけるなりをした方が良いと思います。

本当にどうしようもなくなると、

  • 生活に不自由な場所で
  • お米も買えない
  • 病気にもなることができなく、
  • 再就職や転職すらままならなくなる

生活に陥ってしまいますから…。

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