私がモラハラ元夫との離婚を意識して起こした行動

モラハラ元夫のもとから逃げるように家を飛び出し、その後 離婚調停・裁判を経て、ひとり親家庭となりました。

「離婚したいな」と思ってから5年、実際に行動を起こしてから離婚が成立するまで約2年。決して短い期間ではなかったと思います。でも、長い年月をかけたことにも理由があるのです。

今回は、「私がモラハラ元夫のもとから脱出するまでに行ったこと」について書いてみたいと思います。

私が離婚を考え始めたころの我が家の状況

今思うと、元夫は入籍前から「モラハラ気質」だったと思います。

  • 店員さんや乗務員さんにかなり横柄
  • すぐに私からお金を借りようとする。または、おごってもらおうとする
  • 私を格下扱いする。
  • 気に入らないことがあると視無をする。
  • 全て自分中心で予定を組み、私のことは何も考えない。
  • 妙に甘え上手
  • 仕事場の人の悪口を言う。(まだ無職になる前)
  • 自分が馬鹿にされた」と思うと、とんでもなくキレる

↑こんな元夫でしたが、私も若かったということもあり、「結婚したら良いほうに変わるかも」と楽観的に考えてしまい、入籍。その後は、暴力行為まで加算されるという悪い方へ変わった(というか本性をさらけ出した)元夫とともに婚姻生活を送ることになってしまいました。

しかし、それからわずか1年後、元夫が会社から(事実上の)「解雇」をされてしまいました。再就職に向けて夫婦で頑張ろうとするも、頑張ろうとしているのは私のみであり、当の本人は毎日テレビを見てゴロゴロするだけ…。ついに失業給付も終わってしまいました。

次第に、面接すら行かない元夫との「婚姻関係は無理」と考えるようになり、「離婚」の二文字が私の脳裏に常駐するようになりました。

このころの我が家の状況は、

  • 元夫 無職
  • 私 フルタイムパート(小さな子どもがいたため、正社員にはしてもらえない職場でした)
  • 娘 保育園児
  • 後に息子誕生
  • 月々の足りない生活費は元夫の実家からの援助で賄う(野菜や米など現物援助もあり)
  • 家賃、光熱費など滞納・延滞がち
  • 生活費工面のため、借金も背負わされる(元夫はブラックのため、借金できない)
  • 元夫は相変わらず、暴力を伴うモラハラであり、事あるごとに暴れる

というものでした。

離婚に向けておこなったこと

知りたい情報を調べる

当時はまだ、今ほどスマートフォンの普及率が高くはありませんでした。近隣の人は、半分スマートフォン、半分ガラケーという印象でした。

私も、当時はガラケーを使用していました。しかし、ガラケーであってもネット上の情報を入手することができましたので、「自分が知りたいこと」を調べることにしました。

  • モラハラとは?夫はモラハラ加害者なのか?
  • モラハラ加害者と離婚するには?
  • 貯金が無い場合の逃げ先は?
  • 子どもの親権・養育権は?
  • 子どもとともに逃げ出すにはどうするのか?
  • 誰に相談するべきか?

夫はDV・モラハラ加害者なのか?

まさか自分が「モラハラされている」なんて信じてはいませんでした。この時は、どちらかというえば、「モラハラ被害者であることを否定するために調べていた」のかもしれません。

でも、調べていくうちと元夫は「モラハラ加害者の特徴」にぴったりとあてはまったのです。たくさんある項目の9割以上で該当していました。

ひいき目に見ても、元夫は「典型的なモラハラ加害者」ということでした。

信じられませんでしたが、このことを知って「ホッ」としたのも事実でした。

「そうか、夫はモラハラ加害者だからあんな理不尽な言動をとることができていたんだ…。私がおかしいんじゃなかったんだ…。」

婚姻時代、事あるごとに、元夫からは「脳足りん」「お前はおかしい」「お前は学が無いから知らないことも多いと思うけど、お前なんか世間じゃ通用しないぞ。」と言われ続けていました。

「私の考えはおかしい」「私は社会で爪弾きにあう人間」

と思い込んでいた私は、「あなたの夫はモラハラ人です。まともに取り合ってはいけない。」という情報を得ることができたのです。

モラハラ加害者と離婚をするには?

「話し合いでの離婚はまず不可能」です。

モラハラ加害者は、被害者側に主導権を握られることを嫌います。いくら「話し合いたい」と言ったところで、

  • 話し合いに応じない(無視)
  • 「俺の何が不満だ」と逆切れ
  • 「うるさい黙れ!」と恫喝、時に暴力に訴えることも

のいずれかです。

モラハラ加害者との離婚に向けて事前におこなうことは、

  • 可能であれば、別居する(必要以上に接触しない)
  • 話し合いに第三者を介入させる(調停・裁判)
  • 「言った」「言わない」論争になるので、必ず日記をつける(日付込み)
  • モラハラ時の録音や争ったときの現場写真、暴力があった場合は怪我した箇所の写真などの準備
  • 公の相談機関に相談しておき、相談実績を作っておく(後述)

この中で、なるべくできることは進めておくと良いでしょう。

私は、日記をつけること・相談実績を作ることをおこないました。(ただし、日記は見つかってしまうと元夫の逆鱗に触れてしまう恐れがあるため、なるべく家に置きっぱなしにしないように持ち歩いていました。)
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手持ちのお金が少ない時にはどうやって逃げ出すか?

私は常に小銭程度のお金しか持たされていませんでした。子どもを連れてモラハラ元夫のいる自宅から逃げ出すのは、「非現実的」でした。しかし、

きっと何か方法がある

そう信じて、いろいろ調べていました。

一番多いのは「実家に帰る」というものでした。そりゃそうですよね。世間一般的に、実家ならとりあえずのお金は何とかなりますし、心強い両親もいます。

しかし、私は実家に帰ることができない事情があります。実家は実家で、モラハラ継母が君臨しているからです。

モラハラ気質の継母の子育ては「子どもの成長を喜ぶことを一切しない」ものでした

私の中から、「実家に帰る」という選択は消滅しました。

他の方法はないかな…?

ありました!お金が無くてもとりあえず何とかなりそうな方法が。

  • 女性保護施設(通称シェルター)
  • 母子生活支援施設

どちらも、宿泊を兼ねた施設です。

緊急時に一時的に利用できる「女性保護施設」と、生活基盤がしっかり整うまで利用できる「母子生活支援施設」。

どちらも、公的機関のもの、民間施設のものとの両方で運営されています。ひとまずのお金が無くても何とかなりそうな施設があることを知ることができただけでも、当時の私の中では進歩です。

とは言っても、本当に「小銭」だけでも心もとないので、自分で働いた給料は、「元夫に搾取される前にへそくりをしてでも貯めておかないとならない」と考えるようになりました。

結果的に、女性保護施設経由で母子生活支援施設へ入所しました。母子生活支援施設では家賃はかからないものの、光熱費や食費は各世帯持ちであったため、「全くお金が無い状態での入所」はできません。
私の場合は、元夫と暮らしていたころから仕事をしていましたので、家を出る前の直近の給料は、元夫に搾取させることなく、そのまま持って出ました。ですので、1~2か月生活する分には何とかなりました。

子どもとともに逃げ出すにはどうするべきか?

モラハラ元夫との決別を考えてはいましたが、子どもとの決別はみじんにも考えていませんでいたので、なんとしてでも「子どもを連れて逃げる」計画を立てました。

わが家では、外出自体は比較的自由でしたので、「子どもと公園に行く」とでもいえば、簡単に家から抜け出すことは出来ます。しかし、「家から逃げ出す」となるとある程度の荷物を持って出ることになります。日常のお出かけに大荷物を持って…というのは怪しすぎますからね。

これが大きな課題でした。

元夫が、日中家を留守にしているのであればそのすきに荷物の搬出…ということもできましたが、残念ながら無職であったため、ほとんど在宅しています。こっそり感づかれないように荷物とともに逃げ出すことは「ほぼ不可能」に思われました。

しかし、時間次第で何とかなる可能性もありました。

早朝や深夜、夫が寝静まった時間帯であれば荷物とともにこっそり家から抜け出すことも可能ではないか?ただし、1回に運ぶことのできる荷物量はかなり限られてしまうので、できる限り運びやすいようにあらかじめまとめておく必要もあるし、何度も出入りはできないため、最小限の荷物にする必要もありました。

私は、いつでも家を出ることができるようにキャスター付きの旅行カバンとリュックに必要最低限の荷物を詰め、自室の押し入れの奥にわからないように入れて準備をしていました。
実際に逃げ出した時は、息子(1歳)を抱っこして、娘(5歳の手を引いてを連れていきましたので、キャスター付きの旅行カバンを選択したことは、正解でした。逃げ出した時間帯は、元夫が寝静まっている早朝(6時ごろ)の時間帯を選びました。子どもたちには早起きをしてもらいましたが、近くのファストフード店で時間をつぶし、その後義実家に匿ってもらいました。(元夫の実家ですが、元夫が来ることはありませんでした。)
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誰に相談するべきか?を考える

普通に考えるのであれば、「両親」「友人」などが思い浮かぶでしょう。

しかし、私の場合は両親とは疎遠ですし、友人に関しては元夫から「付き合いを断つように」言われていたため、こちらも疎遠となってしまっていました。

勤務先での人に相談…という手段もあったかもしれませんが、そんな重い話を聞いてくれる人もなかなかいなく、結果的には「一人で抱え込む」状態になっていました

それでも、公的機関での相談窓口があることを知り、実際に相談もしました。

公的機関の相談窓口に相談する

私の場合は、「元夫に相談の事実がばれないように」と考え、あえて「県の相談窓口」に電話をしたのが初めてでした。市の相談窓口もありましたが、この頃はなんとなく「市の職員がうちに来たらどうしよう」「市内の窓口だと、夫にばれてしまうリスクが高そう」と思っていたところがありました。

家庭の悩み(元夫のモラハラ)を相談したことが夫にわかってしまうことが、一番怖かったのです。離婚計画が白紙になってしまったら元も子もないですからね。

しかし、モラハラに関しては相談窓口に電話しても、正直何の解決もしません。
それどころか、気持ちが軽くなることもありませんでした。充分に頑張ってきたのにもかかわらず、「がんばれ」と言われるだけです💦

でも、「相談実績を作る」といった意味では決して無駄行動ではありません私は電話2回、面談1回の合計3回(うち2回は市の相談窓口)相談させていただきました。3回の相談で、解決したことは何一つありませんでしたし、相談後は当たり前のようにモラハラ夫のもとへ帰されました。この時は、保護してもらえることもありませんでした。

でも、その後元夫の暴力がもとで警察沙汰になった時に、「相談実績」があったことにより、すぐに女性保護施設への手配をしてもらえることになりました。

「困っている」「身の危険を感じる」ということは、あらかじめ行政に伝えておくことで、万一の時に迅速に動いてもらうことも可能です。
万一のためにも、公的機関の相談窓口は利用しておくと良いでしょう。

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義両親に相談する

前にも書きましたが、私自身の両親とは疎遠になっています。しかし、義両親と私の関係は悪いものではありませんでした。

もちろん、普段の生活態度なども元夫と私を比べたときに、私に非があるとは思えませんでしたので、義両親ですら、私の味方に付いてくれました。「孫のことはあなたに任せる方が安心」とまで言ってもらえました。

離婚を決断した際にも、力になってくれました。

身近に親身になってくれる親族がいることに感謝しました。

元夫が使っていた携帯電話の解約

これは、私が元夫のもとから逃げ出してすぐにとった行動です。

元夫は、携帯電話の契約すらできない状況であったため、私名義の携帯電話を使っていました。離別してからも私が携帯代を支払う必要もありませんし、出費は少しでも抑えたいところ。違約金を支払ってでも、解約したいと思っていたのです。

元夫の携帯電話を解約したことで、

  • 支払いの心配がなくなる(元夫が払わないと携帯料金滞納となってしまうため)
  • 元夫からの連絡を絶つことができる

というメリットもありました。

弁護士の手配

お金の心配はありましたが、法テラスの援助も受けることで、なんとか弁護士の手配をおこなうこともできました。以降、調停と裁判でもお世話になりましたので、弁護士に依頼したのは正解でした。

さいごに

私の場合は、

  • 頼ることのできる親族は「義両親のみ」
  • 預貯金はほとんどない
  • モラハラ加害者である元夫は、常に在宅している

という中で、「絶対に失敗が許されない脱出」をおこないました。

1度でも脱出を失敗してしまうと、モラハラ加害者の監視の目がさらに厳しくなり、その後の脱出はかなり難易度が上がり、暴言や暴力自体もひどくなってしまう恐れもあるため、「モラハラ人からの脱出」はかなり神経を使うものとなります。

私の場合は、別居へのタイミングを見ることで5年ほどの歳月を費やしましたが、協力してくれる人が多くいれば、もっと早くの段階での脱出も可能になると思います。

モラハラパートナーからの脱却には、

  1. とにかく味方や力になってくれる人を多く作る
  2. モラハラ人の言うことを信じない(基本嘘つきなので)
  3. 証拠集め(日記がつけやすい)をしておく
  4. 行政の利用できる相談窓口は多く利用する
  5. モラハラパートナーと離別することを選んだのであれば引き返さない(同情は不要)
  6. 可能であれば、お金をためておく

これらが重要です。

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