DV・モラハラ元夫との生活に終止符を打ってから早8年目。
婚姻生活中に受けてきた、腑に落ちない数々の嫌がらせも記憶から薄れつつあります。
子ども2人を連れて生活している「今現在」の充実した日々がそうさせているのかもしれませんが、ふと自分にとっての幸せのハードルが異常に低かったことに気が付いたのです。もちろん、今ではそれなりに幸せのハードルが上がってきたように感じますが、婚姻当時はひどいものでした。
今回は、結婚ちょっと前から現在にかけての「幸せの変化」について書いていきたいと思います。
結婚前に幸せを感じた時間
時間は婚姻当時から少しだけさかのぼって、元夫と交際をしている頃の幸せについても書いていきたいと思います。(※幸せとは書きますが、相手はDV・モラハラ元夫です)
毎日は会えないが会っているときは幸せだった?
結論から言うならば、お互いに会っているときはそれなりに幸せな時間を過ごしていました。
このころの元夫はまだまだ本当の顔を私に見せることはなく、明るく・話し好き・甘え上手・一緒にいて楽しい人だったのです。初めの頃の人当たりの良さは、DV・モラハラ加害者の特徴ともいえますが、私はそんなことも知る由もありませんでした。
しかし、今になって思えばDV・モラハラのそれにつながる何かは見え隠れしていた気がします。
- 外食代を私に負担させることが多い
- 2人で会うときは元夫の都合優先
- 私の勤務先まで迎えに来る
外食代等を私に負担させる
基本的に私は交際時の外食代等は、交代で負担でも割り勘でも良しという考えではありますが、元夫は最初のうちこそは私にごちそうをしてくれたのですが、徐々に私にも支払うように言ってくるようになり、最終的には私が負担して当たり前という考えになっていたのです。
もちろん、私の方が収入が多いとか、元夫がまだ学生だから…というのであれば致し方ないとも思えるのですが、
- 元夫は私よりかなり年上
- 当時は元夫も仕事もしていたので私よりは倍以上稼いでいた
- 私も元夫も実家暮らしではない(自分で賃貸契約して生活していた)
ということもあり、徐々に「自分が元夫に利用されているのではないかという疑念」を感じざるを得ませんでした。
しかし、せっかくのデートでそんなことを言って場が悪くなることを恐れた私は、黙って言われるがまま支払いをしていたのです。次に書きますが、なかなか自由に会うことができなかった私たちですので元夫と会えたときの幸せな時間(と当時は思っていた)を壊したくないという思いがありました。
理不尽に食事代等を負担させられ続けたとしても…です。
元夫の都合でしか会うことができなかった
私が会いたいタイミングでは1回も元夫に会うことができませんでした。
全ては元夫の仕事の都合・体調の都合・気分次第で出かけたり会ったりでした。
毎日会うことはもちろんありませんでしたし、電話やメール(当時ガラケーでした💦)のやり取りすら元夫の気分次第でした。
付き合ってる????
という疑問すら感じるくらいでした。
いつ会えるか、いつ連絡くれるか、全く見通しが立たない状況でしたので私は気が休まることがありませんでした。
それでも当時は「会うことができる」だけでもかなりの幸せを感じていましたので、元夫の都合に合わせて自分の生活をしていました。
それは…私の体調が悪いとしても、仕事が忙しくて身体がしんどい時であっても、給料日前で金欠の時でもお構いなしということでもあったのですが…。
勤務先までのお迎え
実は元夫よりも私の方が給料は安いけれど仕事はハードでした(´;ω;`)
22時を回ることは当たり前、時には0時を回ることもありました。帰りは自動車で帰っていたので迎えは不必要だったのですが、元夫はわざわざ最寄り駅まで電車に乗って私のお迎えに来ていたのです。そしてそのまま一緒に私の自動車で帰るということが何度もあったのです。
- 自動車通勤の私を電車に乗って迎えに来る行動
- 1度や2度でなく何度もあったこと
- 来るときが急であること
- 時には職場の前まで来ることもあった
など、正直「気持ち悪さ」も感じたのですが、当時はそんなことも伝えることができず、「ひとりで帰れるから家でゆっくりしてなよ。」というのが精いっぱいだったことは覚えています。
DV・モラハラ加害者は、
- 相手の行動を監視する
- 束縛が激しい
という特徴があります。今思えば、元夫は当時から異常な行動をしていたのに、私はそれに気づくことができませんでした。
結婚前に幸せを感じた時間とは
元夫との付き合いの中で、好きな時に会ったり、連絡を取り合ったりすることができなかったこともあって、その反動からか理不尽な扱いを受けていたにもかかわらず、「実際に会っているときの時間は幸せに感じていた」のです。
なんと貧しい幸せなんだろう…と今なら思うことができます。
婚姻時代に感じた幸せ
婚姻時代には出産という大きな変化もありましたので、たくさんの幸せがありました。しかし、一般的なものとはかけ離れたもののように感じます。
一緒に暮らすことのできる幸せ
それまで好きだったけど自由に会うことも連絡を取ることもできなかった人と、一緒に暮らすことができるというのは、当時の私にとっては大きすぎる変化でした。
「好きな人と暮らすことができる」
もうそれだけで幸せいっぱいだったのです。
これがDV・モラハラの世界の入り口とは知らずに…です。
一緒に暮らす=家事全般&食費は私負担 の生活スタートでした。
しかしこの時、一緒に暮らすことは元夫の身勝手さで決まったようなものでした。
「別れるか、一緒に暮らすか今すぐ決めて。」
元夫は私に同棲について考える時間を与えなかったのです。
それでも幸せを感じていた当時の私です…。
入籍後に感じた幸せ
私たち夫婦は子どもができたことをきっかけに入籍をしました。
- 子どもがお腹の中で成長する幸せ
- 夫婦2人で子育てをすることを夢見る幸せ
- 理想の家庭を築くことを夢見る幸せ
- 一般的な家庭を持った幸せ
など…本当に些細な幸せを感じていました。当時は元夫も仕事をしていましたし、私も産休に入るまでは通常通り仕事をしていましたので、金銭的にはゆとりがあるくらいのはずだったのですが…。元夫の浪費癖のため貯蓄は0でした。
何が原因で「家計が火の車なのか」を理解できない元夫がとった行動と私に対して言ったこと
当時からお金に対する不安を抱えてはいましたが、
「夫も子どもが生まれれば考えを改めてくれる、お金がなくても夫婦が一緒で幸せな家庭を作っていけるのであればそれでも良い!」
と、私は生ぬるいことを考えていたのです。
このころの私は、
- とにかく普通の家庭を築ける幸せ
に酔っていたのです。と、言うのも私自身の両親が離婚をしており父親に引き取られたのですが、その後再婚をしたことで継母ができ、継母に育てられたのですが、この継母もまた曲者で…
そんな誰もが見ても「普通とは言い難い家庭」で育った私でしたので、「ごく普通の家庭」にあこがれを抱いていたのは事実です。
出産後DV・モラハラがひどくなってから感じた幸せ
元夫によるDV・モラハラがひどくなってきたことで、さすがに直接的に「幸せだ」とは思うことはありませんでしたが、それでも
- かわいい子どもがいることが幸せ
- なんだかんだ言って、「今」生活できているから不幸ではない
- 住む家もあって家族もいることが幸せ
- 自分が一人ではない幸せ…
などを感じるようになりました。
モラハラがどういうものか気になる方はこちら↓をご覧ください。
子どもがいるのですから、子どもにまつわることは幸せにつながることは当たり前ですが、ごくごく当たり前のことでさえも「幸せ」に感じるようになってきていました。
この頃には、元夫は無職となっており、毎日自宅にいては気分次第では怒鳴ったり手をあげたりしていました。元夫の怒りの矛先はすべて私だったことがせめての救いでしたが、そんな状況でも「今」を生きている幸せを感じつつも、「離婚」に向けて考え始めていた時期でもあります。
ひとり親になってから感じた幸せ
元夫と離れて暮らすことで感じた幸せは数知れず。
離婚に向けて始めた別居から、さらに2度の引っ越しを経て得た、現在の幸せまでを書いていきたいと思います。
元夫との別居ができてから感じた幸せ
次第に働くことをしなくなった元夫でしたが、お金に対する執着は人一倍強く、私が稼いできた生活費のほとんどは元夫に搾取され、私が自由に使うことのできるお金はもちろんなく、貯金もほとんどできていない状態でした。
私は離婚を視野に入れていることを含め「DV・モラハラの件」を女性相談センターに相談に行ったりしていたのですが、その間に別居をしなければいけなくなるほどの事案(警察介入でした)が発生したのです。私は市の方に助けてもらう形で、子ども3人を連れて隣県の母子生活支援施設へ入所することになりました。
母子生活支援施設は、
- 厳しい規則がありそう
- 職員に監視されそう
- 自由がなさそう
というネガティブなイメージがありがちですが、私にとっては「この上なく快適な空間」だったのです。
母子生活支援施設って実際にどんなところなの?実際の元利用者がメリット・デメリットを書きました
設備は普通の賃貸住宅と変わりないものであり、大きな違いがあるとするならば「職員が24時間常駐している」点くらいです。
共有部分もありますので、各フロアの共有部の掃除当番などはありましたが、これはどうってことありませんでした。
職員も世帯ごとで担当を持っているので、私たち利用者の良い相談相手にもなってくれました。
- 身近な大人と普通に会話ができる幸せ
- 元夫に怯えることのない安心した生活を送ることができる幸せ
- 金銭管理が自分でできる幸せ
- 欲しいものが欲しい時に買うことができる幸せ(別居してすぐに移動用の自転車を購入しました)
- 広い空間(3人で2K)で生活することができる幸せ(婚姻時は4人で2DKでしたが、一部屋は元夫が独占していました。)
- 夜安心して眠ることができる幸せ(元夫に突然起こされることがなくなる)
などなど…。
今思えば、本当にささやかなことが幸せに感じていたのです。
ただこの時は、母子生活支援施設で暮らしている段階。入所期限が2年と決められている中で生活の立て直し&離婚に向けての調停・裁判をしていた時期でもありました。ささやかな幸せを感じつつも、
- 母子生活支援施設を退所後の生活拠点(住居)をどうするのか?
- 安定した生活を営むための就職活動(定職探し)
など大きな課題もあったのです。
母子生活支援施設から退所後に感じた幸せ
母子生活支援施設での暮らしは、決して大変なものではありませんでした。
母子生活支援施設は、
- 家賃がない(水光熱費等は自己負担)
- 施設内の保育室は無料で使うことができる
- いざというときには自動車で送り迎えもしてもらえる(病気などの緊急時)
- 住民がひとり親家庭ですのでお互いに気が楽
- 時には寄付された食品などの配布もある
などひとり親になりたてで、生活基盤をしっかり立て直したい・お金をある程度貯めたい・小さな子どもを抱えて不安などという家庭にとっては非常にありがたい施設となります。
私は入所期間は最長2年という制約もありましたので、元夫との離婚が成立してからすぐに退所後に暮らす場所選びをしました。
この時は、新たに始めた仕事も軌道に乗ってきたころであり、収入源の確保はできていたため、市内での住宅探しをしました。
結果的に、敷金礼金・保証人なし・家賃格安の築44年の団地の入居を決めたのです。
昭和感漂う古い団地(笑)でしたが、私にとっては「ちゃんとしたわが家」を手に入れることができたのです。
- 施設(母子生活支援施設)暮らしを卒業できた幸せ
- 子どもに子ども部屋を与えてあげることができる幸せ
- 完全に私自身の手で子どもたちを育てていく責任を感じる幸せ
- (子どもたちにとって)父親はいないけど明るい家庭を築く幸せ
- 地域のコミュニティに参加できる幸せ
- 自分自身の家電を買いそろえる幸せ(母子生活支援施設では一部の家電などは貸し出し品でした)
- 住所が母子生活支援施設ではなくなった幸せ(私は地味に気にしていました 笑)
など、「母子生活支援施設から自立できたという幸せ」を中心に感じていました。
県営住宅に引っ越してきて感じた幸せ
つい先日、県営住宅への引っ越しが終わり、やっと落ち着いた日常を送ることができるようになりました。
築50年の団地から築7年の県営住宅に引っ越しをする【団地の違い、引っ越し費用などなど】
わが家には「公営住宅には必ず必要と言われる保証人」になってくれそうな親族はいません。先にも書きました通り、私自身の親が毒親&モラハラであったため、私が成人後に連絡を絶つことにしたのです。
という経緯もあって、公営住宅はあきらめていたのですが…。この年に、県営住宅で保証会社の利用が可能になったのです。
【公営住宅】連帯保証人がいない人のための家賃債務保証制度の手続き方法を調べてみた
そして保証人を立てることができない、わが家でも県営住宅の応募資格があるということで、早速自分の条件に合う住宅に応募。
とっても運が良かったのか、たった1度の応募で仮当選することができ、そのまま順調に手続きを終え、今暮らしている住居に入居となりました。
【県営住宅】親族のいないひとり親が県営住宅の応募から仮当選を経て当確を勝ち取った忘備録
生まれて初めての公営住宅ということで、コミュニティなど不安要素はあったものの、約1か月暮らしてきた中で特に不満になるところはなく、他入居者さんとあいさつ程度は行うくらいにはなりました。
- 新しくて広い住宅に暮らすことができる幸せ
- 部屋に余裕ができたので日々の暮らしにも余裕が出てきたことを感じる幸せ
- トイレがきちんと流れる幸せ(笑)(団地は古くてトイレの水の流れが悪く、よく詰まっていました💦)
- 駐車場までの距離が近くなったり、エレベーター付きになったため外出をしやすくなった幸せ(コロナ禍ですので仕事か買い物くらいの外出ですが…。)
- 団地と異なり、入居者層のほとんどが我が家と同じ子育て世代という幸せ(団地は高齢者が多かったです)
- (団地と比べると)すべての設備が新しいのでとにかく生活がしやすく幸せ
県営住宅に引っ越してからは、主に「住環境の改善から感じる幸せ」が多くなりました。
さいごに
今では、元夫と付き合っている段階のことを思い出すと「それって幸せじゃないよね?」と感じますが、当時の私は「本当の幸せ」を知らなかったこともあり、
- 会いたい時に会えるわけではないけど、心ではつながっている(はず)
- 会えなくても自分のことを見ていてくれているから満足(だと思う)
- 普段思い通りにいかないからこそ一緒にいるときは幸せ倍増(かな?)
なんて思っていたのだと思います。脳内お花畑の黒歴史です💦
しかしそれは、元夫の都合や気分に無理やり私が会わせなくてはならない(合わせたくなる)ように仕組まれた元夫の作戦だったのかもしれません。
元々実家での生活がうまくいっていなかった私は「世間一般的な幸せ」というものを知りません。実家では常に継母の機嫌(典型的なモラハラ気質)をうかがっての生活でしたので、それと比べても元夫は優しく感じたのかもしれません。
まだまだ知らない幸せもあるかもしれませんが離婚後8年という長い時間をかけ、自分が感じる「幸せ」の基準がやっと人並みになったのかな?と感じます。
- 自分を見てくれる人がいる幸せ(婚姻前)
- 家庭を持つことができた幸せ(婚姻時前期)
- 子どもの成長を感じることだけが幸せ(婚姻時中・後期)
- 雨風しのげる自宅がある幸せ(婚姻時末期)
- 自分で生活費を管理できる幸せ・夜に眠ることができる幸せ(母子生活支援施設入所時)
- 自立した生活ができる幸せ(団地入居時)
- 住環境が良くなったことの幸せ(県営住宅入居時)
はじめは、自分自身の自己肯定感を満たすことによって幸せを感じていました。
結婚出産を経てそれなりに人並みの生活をしている頃は、「子どもの成長」から幸せを感じていたころもあったのですが、元夫が無職になって一番どん底の時は「住む家があるというだけで幸せ」と、とんでもないことに幸せを感じていたのです。
その後は多くの人の日常と思われることでさえ幸せを感じてしまうこともありましたが、自立した生活を継続することで、それまで幸せに感じていたことがやっと私にとっての日常のこととなることができました。(生活費管理や夜寝ること、雨風しのぐ住宅があることなど)
今回はいつもより長々と書いてしまいましたが、以上が私にとっての幸せの変化です。
さいごまで読んでいただきありがとうございました!
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